機動戦士ガンダムSEED
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監督の福田が公式サイトのインタビューにおいて2004年9月25日付で語るところによれば、『ガンダムSEED』シリーズ第1作は、「キラとアスランを主人公に据えて『非戦』というテーマを描いた」とのことである[10]。また、同年12月10日に同インタビューで、2作目『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』についてエグゼクティブプロデューサーの竹田青滋も、「前作から引き続き非戦ということを訴え続けるつもりである」と述べている。加えて竹田は、「再選を果たしたアメリカのブッシュ大統領ファルージャでの掃討作戦を展開し、ますます混迷を深めるイラク情勢」についても述べ、『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』を観ることで「視聴者が世界情勢を少しでも自分の身にひきつけて考えてもらえるようになれば」とも語っていた。

なお、福田はストーリーやテーマ的なことは両澤が担当していたと語っている[11]
製作エピソード

2002年に放送開始した『機動戦士ガンダムSEED』(以下、『SEED』)であるが、企画は2000年の10月には既に存在したという[12]。監督である福田己津央はインタビューにおいて、従来のガンダムシリーズからよりターゲット年齢層を下げた作品を意識したと語っている[12]。また、ウルトラマンシリーズ仮面ライダーシリーズが時代ごとにその都度に合わせた作品作りをしていたことや、ガンダムシリーズそのものが既に『機動武闘伝Gガンダム』のように新機軸の作品が存在したことから、『機動戦士ガンダム』との共通項を持ちつつも時代に合わせた作品を作る方針になったという[12]。また、福田は後年のインタビューにおいては9.11テロの影響を受け、米軍の中で戦うイスラム兵士というコンセプトから『SEED』の主人公像を形成したと語っている[13]。登場するメカニックが電力駆動するという設定は福田がかつて監督を務めた『GEAR戦士電童』の影響があり、ガンダムという機体の扱いに関しては、搭乗するキャラクターの象徴としての側面を重視したという[13]。また、福田は製作にあたっては自身が以前に監督を務めていた作品である『GEAR戦士電童』から継続したスタッフで固めていたことと、当時サンライズの社長であった吉井孝幸とMBSのプロデューサーである竹田青滋が環境作りに尽力し、『SEED』のヒットを支えたと語っている[14]

また、本作放送当時にバンダイにてプラモデル担当として携わった狩野義弘はインタビューに際し、メカニック展開において5体編成のガンダムが登場した点に関しては『新機動戦記ガンダムW』の影響によるものだと語っている[15]

一方で、設定を担当した森田繁はインタビューに際し、直前に放送していた『∀ガンダム』が商業的に不振に終わったことから、より商業的な成功を重視するよう各方面からの圧力がかけられていたと語っている[16]。また、製作当時ガンダムのホビー人口におけるファン年齢層が上がっていたことを受け、本作では小中学生への訴求を重視するようオーダーがあったという[16]。なお、『SEED』ではコーディネイターとナチュラルという遺伝子による対立構図が描かれたが、この発案はプロデューサーの竹田青滋だという[16]。また、森田は『∀』の製作途中に『SEED』の企画に参加し、『∀』がSFとしての色合いから裏設定が増えたのに対し、『SEED』では監督である福田からは映像での描写に説明付ける設定制作を依頼されていたと語っている。また、アフレコの現場で設定面の監修も行っていたことから、自らの所有する脚本に加筆しながらガヤに専門用語を入れていたとしている[17]

設定製作を担当した下村敬治はコラムにおいて、当初は『ガンダムSAGA』というタイトル案も存在したとしている[4]。また、打ち合わせの際には『海底軍艦』や平成「仮面ライダーシリーズ」といった特撮作品や、『機甲戦記ドラグナー』の話題がたびたび見られたという[18]

世界観設定を担当した吉野弘幸はインタビューに際し、『SEED』は複数あったガンダム次回作の企画書から福田たちが提出したものが採用された。シナリオの製作においては大河ドラマや少女漫画の影響が存在したと語っている[19]

プロデューサーを務めた古澤文邦はインタビューに際し、作品名の本決定以前には10体のガンダムが登場することから「ガンダムズ」といった名称も候補に挙がっていたとしている(同名のバーが既に存在しなかったことから、この案は見送られた)[4]。また、古澤は他のインタビューにおいてはキャラクター、メカニックのデザインにおいて5、6人のオーディションを通して決定したと語っている[20]

本作の脚本は他のシナリオライターが提出したものをシリーズ構成の両澤千晶が練り直す方式をとっており、該当話数では連名となったという[21]。また、森田と吉野によれば、本読みをやって方向性が固まった話が翌週の本読みで監督たちが来ると全てひっくり返ることが何度もあったとしている。その理由として、家庭内で本読みが先に進んでいるために福田が両澤に対して時間に関係なく要望を述べていたためと語っている[22]

メカニックデザインを務めた大河原邦男は自著において、「SEED」当時においてプラモデルがガンダムシリーズ一作目『機動戦士ガンダム』以来のヒットであったことから、続編の『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』が製作されたと語っている[23]
あらすじ「コズミック・イラ#第1次連合・プラント大戦(C.E.70-72)」も参照

C.E.70年、プラントと「地球連合」において発生した戦争は、農業用プラント・ユニウスセブンに核ミサイルが撃ち込またことで激化。物量で勝る地球連合軍の勝利で終わると予想されていた戦争は、膠着状態に陥り11か月が経過していた。

C.E.71年、工学を専攻するコーディネイターの少年キラ・ヤマトは、中立国オーブのコロニー・ヘリオポリスで平和に暮らしていた。しかし、このコロニー内では連合軍による5機のMSの開発新造戦艦の建造が極秘裏に行われており、その情報を得たザフトのクルーゼ隊は独断で奪取作戦を開始する。日常は一変しコロニーは戦場へと変わり果てた。キラは逃げ惑ううちにMS工場へと辿り着き、連合兵とザフト兵の激しい銃撃戦に鉢合わせしてしまう。その中には、幼少の頃の親友のアスラン・ザラがいたのだった。

思わぬ場所でキラと再会したアスランは、戸惑いながらもMS「イージスガンダム」を奪取。キラは居合わせた連合の技術士官マリュー・ラミアスに促されるまま、残された機体「ストライクガンダム」に搭乗し脱出を図る。しかし、待ち構えていたクルーゼ隊のMS・ジンとの戦闘に巻き込まれてしまう。最初はパイロットですらないマリューがアスランとの銃撃により腕を負傷した状態で操縦しており、徐々に窮地に追い込まれていくも、キラは絶体絶命の際に強引に操縦を代わり、未完成だった機体のOSを瞬時に書き換えるという離れ業をこなし、ジンを撃破する。

キラは無事脱出していた友人達と再会するが、戦闘はまだ続いていた。ストライクガンダムはキラにしか扱えないことから、マリューはコロニーからの脱出を成功させるためにも彼に出撃を要請する。キラも友人達を守るため、否応なくストライクガンダムに搭乗し、ザフトと戦っていく。宇宙での戦いを経て地球に降下し、連合軍の本部であるアラスカを目指すアークエンジェル。

だが、降り立った地に待ち構えたアンドリュー・バルドフェルドをはじめとする敵との戦いとそれによって知った絶滅戦争への可能性から、キラは次第に戦争に対する疑念を感じ始める。また、アスランも戦場にてオーブの姫であるカガリ・ユラ・アスハと出会い、衝突しつつも和解。プラントへの核攻撃やその報復として地球に投下されたニュートロンジャマーを始めとする負の連鎖を語り、次第に惹かれあって行く。その一方で、クルーゼ隊の隊長であるラウ・ル・クルーゼはザフト強硬派でありアスランの父でもあるパトリック・ザラと接近していく。

地上においてザフトとの攻防を繰り広げるアークエンジェル。その最中にアスランたちとの戦いでブリッツの搭乗者であるニコル・アマルフィが戦死。キラとアスランの関係に亀裂が生じ、激戦の末にストライクとイージスは相打ちとなる。


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