橋田壽賀子
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翌年元日にNHK大河ドラマ春日局」の準備をしていたが岩崎の看病をしながら1年続くドラマの脚本を書き上げる自信がなく、橋田が石井に相談すると「いま番組から降りたら嘉一ちゃんは、自分ががんだって気づくかもしれないよ」と首を横に振った[3]1989年(平成元年)9月、死別。晩年の岩崎とは、別荘地として知られる「熱海自然郷」で暮らした。橋田は当時を「私は若くして両親を亡くしている。一人っ子なのできょうだいもいない。そしてたった一人の家族だった夫を、こうして失った。」[3]と回顧している。静岡県熱海市柴犬の「さくら」と暮らし、東京?熱海間を往復する生活を送った。自宅は急峻な玄岳の頂上付近にあり、自動車を自ら運転して往復していた。

1992年(平成4年)、亡夫の岩崎の遺産などを元手に「橋田文化財団」を設立。理事長に就任し、橋田賞を創設した。

2014年(平成26年)5月、『女性自身』で、同年4月開始の『なるようになるさ。』第2シリーズの視聴率低迷が主たる理由で脚本家業の引退を示唆していると報じられた。橋田本人は同誌の取材に対し、「引退したいですよ。でも、させてもらえないでしょうね」と語った[11]

2015年(平成27年)8月20日、フジテレビノンストップ!』のインタビューで「今の俳優さん達、名前も分からない。これじゃ(脚本)書けないから仕事が来ない」「ミステリーとか不倫ものとかばかり。普通のホームドラマが生きられない時代になった」と語り、改めて脚本家引退を示唆したが[12]、その後引退報道に関する週刊女性の取材に対して「お仕事はまったく来ないです。いま、ホームドラマなんかやるところはないですから。私の時代じゃないと思いますよ。でも、引退はしません。また私が書きたいものを書かせてくれるところが出てきたら書かせていただきます。ただ、今はお休みして、充電中です」と引退を否定した[13]。同年10月30日、日本政府より脚本家として初(監督作品も存在する脚本家を除く)となる文化功労者に選出されたことが発表された[14]。 そして2020年10月27日、同じく脚本家として初の文化勲章受賞者に選出されたことが日本政府より発表された。

2021年令和3年)2月下旬から、急性リンパ腫の治療のため東京都内の病院に入院。3月からは自宅のある静岡県熱海市内の病院に移り、治療を続けた。4月3日に自宅に戻り、翌4日9時13分、死去した[15][16]。95歳だった。臨終は同じ熱海に居を構える泉ピン子が看取っている。橋田本人の遺志により葬儀は執り行わず同月5日に火葬され[17]、同月9日に両親の墓所がある愛媛県今治市内の寺院と夫・岩崎が眠る静岡県冨士霊園に納骨された[18]。死没日付をもって従三位に叙された[19][20]。また、長年執筆の拠点を構えた熱海市は、2021年(令和3年)4月10日の熱海市表彰式典で、名誉市民の称号を追贈した[21]

2022年6月15日、生前親交の深かった女優の泉ピン子が、火葬場で特別に分けてもらったという橋田の遺骨を、クルーズ船「飛鳥II」から海洋散骨したと報告した[22]
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出典検索?: "橋田壽賀子" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2011年5月)

「大衆に受け入れられてこそ価値のある作品」という信念のもと、数多くの作品でヒットを飛ばした。代表作は『おしん』(1983年 - 1984年、NHK)や『渡る世間は鬼ばかり』(1990年 - 2019年、TBS)が有名。他にも、『おんな太閤記』(1981年、NHK)、『いのち』(1986年、NHK)、『橋田壽賀子ドラマ おんなは一生懸命』(1987年 - 1989年、TBS)、『女たちの百万石』(1988年、日本テレビ)、『春日局』(1989年、NHK)、『おんなは度胸』(1992年、NHK)、『春よ、来い』(1994年 - 1995年、NHK)、『テレビ、翔んだ!』(1999年、日本テレビ)、『ハルとナツ 届かなかった手紙』(2005年、NHK)、『99年の愛?JAPANESE AMERICANS?』(2010年、TBS)など、数多くの傑作を輩出し、いずれも後世に残る作品を輩出した。

NHKやTBSの制作作品で脚本を担当することが多く、テレビ東京での仕事はまったくない(これは同局がドラマをほとんど放映しないことも起因している)。
脚本

橋田の脚本は、一つの台詞が長いこと、そして演出家や俳優による台詞の変更やアドリブを許さないことで有名だった。橋田作品の常連で主役級の役どころも多かった女優の泉ピン子は、一つの台詞が台本1ページ分に及ぶこともありたいへん難儀したことを述懐している。

助詞の「てにをは」一字の言い間違いすらも許さず、アドリブも一切禁止だった。これは松竹時代に脚本を担当した映画の撮影過程で、監督から映画は絵で見せるものだから台詞をもっと短くしろと言われたり、俳優たちが台詞を勝手に削ったりしていたことに対する反発が一種の怨念となり、それが「映像なんて信じていない」という信念につながったことから来るものだという[23]

「作る」を「こしらえる」、「味噌汁」を「おみおつけ」など、今日ではあまり耳にしなくなった古風で上品な表現を台詞に多く用いるのも特徴。「?して頂く」や「?させて頂く」などの謙譲語の多用も目立った。これは「長幼の序をはっきりさせ、きれいな日本語をテレビだけでも使いたい」という思いによるものであるという[23]

長台詞については、「主婦が家事をしながらでも、テレビ画面を見ることなく台詞のみで話の筋が分かるように配慮している」ともインタビューなどで述べている[23]
橋田ファミリー

泉ピン子などに代表される、「橋田ファミリー」に属する役者が頻繁に起用される。

ただし、ファミリーのみでのドラマ制作は無論限界があり、かつ、主人公を演じられる俳優は限られるため、赤木春恵山岡久乃八千草薫河内桃子渡辺美佐子草笛光子池内淳子若尾文子佐久間良子宇津井健角野卓造、橋田の盟友・石井ふく子と共に高く評価していた三田佳子大原麗子、石井親子と二代に渡り交流のあった杉村春子山村聡山田五十鈴森光子淡島千景などが主役・準主役・あるいは特別出演扱いで出演している(森繁久彌とは接点がなかった)。


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