橋本忍
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米国の映画芸術科学アカデミーは、2019年開催の第91回アカデミー賞において、逝去した映画人を悼む“In Memoriam”(イン・メモリアム)のコーナーで、橋本を追悼した[10][11][12]

脚本の完成度の高さ、そのスタンスから同業者に最も尊敬されている脚本家の一人であり、その影響は日本にとどまらず、世界中の製作者にも影響を与えている。
人物

暗い部屋で長年作業をしていたため、強い光に当たると眩暈がする職業病を持ち、番組出演でも配慮される。「漢字が混ざるとイメージが固定されるので」と、単独執筆の場合、脚本はすべてカナタイプ[注釈 2]を使用して、片仮名でタイプしていた。このため現場のスタッフは脚本を読むのが大変だったという[13]

競輪ファンとして有名で、昭和40年代頃から50年代にかけては特別競輪決勝のTV中継にゲストとしてたびたび姿を見せており[14]寺内大吉と共に『論客』として競輪界への提言や出版物への寄稿なども行っていた。代表作砂の器のクライマックスシーンを「まくり一発」だと、競輪に例えて言及した。逮捕状請求の捜査会議までは殺人犯を追う地味で、淡々とした展開が進むが、親子遍路から映画展開が劇的に変化する。まくり一発とは競輪用語で終盤での猛追で他を追い抜き、ゴールする戦法を指す。
その他

黒澤映画に三船敏郎が出演しなくなったことについて、最後となった『赤ひげ』が直接の原因ではなく、そういうことにならないといけない事情が、それ以前から積み重なっていたと思うと語った。具体例として、『蜘蛛巣城』撮影のエピソードをあげている。加えて黒澤映画は撮影期間が長く、その間、別な仕事をすれば数本分のギャラが入るから、黒澤明自身もそのことをよくわかっていたと語った。結果として両者の関係が『赤ひげ』で最後になったことは、二人にとっても不幸であったと語っている[15]
受賞

ブルーリボン賞脚本賞(昭和25年度・31年度・33年度・37年度・41年度)

毎日映画コンクール脚本賞(昭和27年度・31年度・33年度・35年度・41年度・49年度)

キネマ旬報ベスト・テン脚本賞(昭和33年度・35年度・41年度・42年度・49年度)

芸術祭賞(脚本)(昭和33年)

1977年:日本映画テレビプロデューサー協会賞(特別賞)

1991年:勲四等旭日小綬章[16]

1991年:NHK特別賞シナリオ功労賞

1997年:日本映画批評家大賞プラチナ大賞

2007年:第31回山路ふみ子賞映画功労賞(平成19年)

2013年:全米脚本家組合賞ジャン・ルノアール賞(平成25年)

映画
脚本作品

羅生門1950年8月26日公開、黒澤明監督、大映

平手造酒1951年11月2日公開、並木鏡太郎監督、新東宝

生きる1952年10月9日公開、黒澤明監督、東宝

加賀騒動1953年2月19日公開、佐伯清監督、東映

太平洋の鷲(1953年10月21日公開、本多猪四郎監督、東宝)

さらばラバウル1954年2月10日公開、本多猪四郎監督、東宝)

花と竜 第1部 洞海湾の乱斗(1954年3月3日公開、佐伯清監督、東映)

花と竜 第2部 愛憎流転(1954年3月24日公開、佐伯清監督、東映)

勲章(1954年4月14日公開、渋谷実監督、松竹

七人の侍(1954年4月26日公開、黒澤明監督、東宝)

次郎長三国志 第九部 荒神山(1954年7月14日公開、マキノ雅弘監督、東宝)

大岡政談妖棋伝 白蝋の仮面(1954年8月10日公開、並木鏡太郎監督、新東宝)

大岡政談妖棋伝 地獄谷の対決(1954年8月17日公開、並木鏡太郎監督、新東宝)

初姿丑松格子(1954年11月30日公開、滝沢英輔監督、日活

生きとし生けるもの1955年2月25日公開、西河克己監督、日活)

生きものの記録(1955年11月22日公開、黒澤明監督、東宝)

白扇 みだれ黒髪(1956年3月15日公開、河野寿一監督、東映)

真昼の暗黒(1956年3月27日公開、今井正監督、現代ぷろだくしょん

蜘蛛巣城1957年1月15日公開、黒澤明監督、東宝)

伴淳・森繁の糞尿譚(1957年5月21日公開、野村芳太郎監督、松竹)

憎いもの(1957年5月28日公開、丸山誠治監督、東宝)

妻こそわが命(1957年6月11日公開、佐伯幸三監督、大映) - 原案

女殺し油地獄(1957年11月15日公開、堀川弘通監督、東宝)

どたんば(1957年11月24日公開、内田吐夢監督、東映)

張込み1958年1月15日公開、野村芳太郎監督、松竹)

夜の鼓(1958年4月15日公開、今井正監督、松竹)

奴が殺人者だ(1958年7月29日公開、丸林久信監督、東宝)

鰯雲(1958年9月2日公開、成瀬巳喜男監督、東宝)

隠し砦の三悪人(1958年12月28日公開、黒澤明監督、東宝)

コタンの口笛1959年3月29日公開、成瀬巳喜男監督、東宝)

七つの弾丸(1959年10月27日公開、村山新治監督、東映)

空港の魔女(1959年11月22日公開、佐伯清監督、東映)

黒い画集 あるサラリーマンの証言1960年3月13日公開、堀川弘通監督、東宝)

ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960年4月26日公開、松林宗恵監督、東宝)

いろはにほへと(1960年5月20日公開、中村登監督、松竹)

地図のない町(1960年6月11日公開、中平康監督、日活)

弾丸大将(1960年9月13日公開、家城巳代治監督、東映)

悪い奴ほどよく眠る(1960年9月15日公開、黒澤明監督、東宝)

最後の切札(1960年9月20日公開、野村芳太郎監督、松竹)

ゼロの焦点1961年3月19日公開、野村芳太郎監督、松竹)

八百万石に挑む男(1961年9月13日公開、中川信夫監督、東映)

切腹1962年9月16日公開、小林正樹監督、松竹)

白と黒1963年4月10日公開、堀川弘通監督、東宝)


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