橋幸夫
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ぼんちおさむが橋の真似をする時のポーズ「あれ?」を、1981年に橋本人がサンヨー食品テレビCMで演じ、逆パロディとして話題になった。また清水アキラがものまねのレパートリーとしたことなどもあり、この頃よりバラエティ番組にも数多く登場するようになった。

1984年、女性アイドルグループ、セイントフォーのプロデュースに携わるが、(と、言われているが実際に携わっていた事実は無かったこが分かっている。)彼女らの所属事務所との意見の相違や金銭トラブルなどが相次いで発生し、失敗に終わる。

若い頃、政党からの出馬オファーがあったが、当時から「政治は命がけでやる仕事」と思っていたため、2回とも断ったことを後に明かしている[13]

1990年には『第41回NHK紅白歌合戦』に14年ぶりに出場。1998年の第49回にも出場し、この年亡くなった吉田正の追悼として「いつでも夢を」を第一部の大トリで歌唱した。

2000年あたりに「御三家」はG3Kと名乗り、ユニットとして活動したこともある。その時『水戸黄門第29部から第32部にかけて他の「御三家」の面々と共にテーマソング「ああ人生に涙あり」も歌った。

2005年、橋のデビュー45周年を記念して茨城県潮来市前川あやめ園に記念碑が建てられた。映画『潮来笠』で橋が演じた潮来の伊太郎を(実際に映画で伊太郎を演じたのは小林勝彦であって橋はゲスト出演)モチーフとしたブロンズ像、「潮来笠」の一番の歌詞が刻まれた歌碑、「潮来笠」「伊太郎旅唄」「いつでも夢を」「恋のメキシカンロック」「盆ダンス」の5曲が流れるジュークボックスのセット。

2005年の『第56回NHK紅白歌合戦』でのスキウタアンケートの中間発表では「いつでも夢を」「潮来笠」「霧氷」と3曲がトップ10に登場した。最終結果でも「いつでも夢を」が紅組22位、「潮来笠」が白組68位に登場したものの、肝心の『紅白』には選出されずに終わった。

2012年、「橋幸夫杯介助犬チャリティゴルフコンペ」が10年目を迎えたこの年[14]、日本介助犬協会「介助犬サポート大使」に任命された[15]

2016年11月に凡子夫人と別居、2017年末に離婚した[16]。離婚成立後、すぐに50代女性と再婚している[17]

2018年7月に発表した181枚目のシングル「君の手を」(林よしことのデュエット)では、オリコン演歌・歌謡ランキングで週間1位、週間USEN HIT演歌/歌謡曲ランキング第1位を獲得するなど健在ぶりを示した。

2020年2月1日、歌手デビュー60周年を迎えるにあたり、所属事務所を個人事務所からJVCケンウッド・ビクターエンタテインメントへと復帰し、同社に新たに設立したチーム、“3rdWing”(サードウィング)に所属、古巣に回帰した[18]

2021年10月4日、東京護国寺の夢グループ本社にて、80歳誕生日の2023年5月3日をもって歌手活動から引退することを発表[19][20]。加齢による声帯の筋肉の衰えで「歌の馬力や声帯を維持することが難しくなったと実感し、それを隠したりごまかしたりするのは、自分の性格ではできない」と理由を説明した[21]。ラストツアーは、同年12月8日の東京・福生公演『橋幸夫コンサート 人生は長いようであっというま 夢を持って生きよう!』からスタートし、全国160ヶ所を回る予定。なお、歌手活動引退後も芸能活動は継続する。

2022年4月3日、京都芸術大学通信教育部書画コースに入学した。新入生代表として挨拶し、「学び足りなかった学生時代を学び直したい」と語った[22]

2023年1月12日、橋が所属する夢グループの石田社長の提案により“橋幸夫”の名を継承し、自身の歌を歌い続ける歌手を募集することを発表[23][24]。4月1日、「二代目 橋幸夫を探せ!」オーディションの決勝大会が開かれ、川岸明富、進公平、徳岡純平、小牧勇太が選ばれた[25]。4人はそれぞれ「夫」に異なる漢字を当てて「はしゆきお」として活動する予定とされた[25]

2023年5月1日、東京・浅草公会堂でラストコンサートを行う[26]。開演前の会見では「二代目 橋幸夫」の4人も紹介され、グループ名を「yH2」とすることが発表された[26]。橋幸夫の「夫」に別々の漢字を当て、4人が「はしゆきお」を名乗るプランは取りやめとなった[27]。「yH2」は2023年9月6日の正式デビュー時には徳岡純平、進公平、小牧勇太の3人組となる[28]

2024年4月15日、東京都内で記者会見し、歌手に復帰すると発表した。歌手活動をやめて以降、ファンから活動再開を願う声が寄せられたことを明かし、「引退会見でけじめをつけたつもりだったが、歌を歌うことが使命だったんだと思った」と話した。そして「声が出なくなるまでやりたい」と頭を下げた。4月26日に大宮ソニックシティで予定されているフィルムコンサートが復帰公演となる[29][30]
暴漢事件

1963年5月12日、金沢市金沢市観光会館で、ショーを行った際に暴漢に襲われるという事件が起こる。ラストステージのフィナーレのときにそれは起こった。客席から一人の男性が軍刀を持ち橋に切りかかる。それを止めに入ったマネージャーも右手中指をちぎれそうになるくらいの重傷を負う。橋は咄嗟の判断で軍刀の刃を握り締め、相手に抜かれないように両手で強く握り締めた。その後、関係者などに取り押さえられ、橋は大事には至らなかったが、手のひらと腕と肩と顔に2週間の怪我を負った。なお、橋はこの後遺症で左手小指を伸ばすことができない[31]。それでも、このような危機を凌ぐことが出来たのは、「ボクシングをやっていたからだった」と橋本人が語っている。

逮捕された男は、過去に傷害事件を起こしたこともある前科持ちの男であった。また同ステージに参加していた漫才師晴乃ピーチク・パーチクのパーチク(手塚清三)も後頭部に怪我を負っている。

いつみても波瀾万丈』にて橋本人が、「刀を強く握っていなかったら、指をすべてもっていかれた」と語っていた。
人物

文化人としても知られている。デビューシングルが7月5日に発売されたこととプロ野球選手で二刀流として知られる大谷翔平が7月5日生まれであることから橋も「芸能人と文化人の二刀流」といわれることもある[32]
ディスコグラフィ
シングル

NO発売日規格番号A面B面(c/w)備考
11960年7月5日VS-367
潮来笠伊太郎旅唄○第2回日本レコード大賞(新人賞)
大映映画『潮来笠』主題歌
21960年8月20日VS-378あれが岬の灯だ君恋い波止場
31960年10月5日VS-407おけさ唄えば逢いたいぜ大映映画『おけさ唄えば』主題歌
41960年11月5日VS-420喧嘩富士流転がらす大映映画『喧嘩富士』主題歌
51960年12月10日VS-455木曽ぶし三度笠新三ひとり旅大映映画『木曽ぶし三度笠』主題歌
61961年3月5日VS-478磯ぶし源太緋桜ふぶき○第3回日本レコード大賞(作詞賞受賞曲)
大映映画『磯ぶし源太』主題歌
71961年5月5日VS-497若い素顔(夜のスイートピー)共演:山中みゆき
81961年5月5日VS-506南海の美少年
天草四郎の唄)花の白虎隊
91961年5月20日VS-521わが生涯は火の如く故郷の花はいつでも紅いニュー東映映画『わが生涯は火の如く』主題歌
c/w「故郷の花はいつでも紅い」は三菱重工提供「田園ソング」
101961年7月5日VS-534沓掛時次郎浮名の渡り鳥大映映画『沓掛時次郎』主題歌
111961年8月5日VS-553すっとび仁義あばれ天竜大映映画『すっとび仁義』主題歌(『平凡』募集当選歌)
121961年9月5日VS-567明日を呼ぶ港振り向いたあいつ大映映画『明日を呼ぶ港』主題歌
c/wの「振り向いたあいつ」はNHKラジオ歌謡
131961年10月5日VS-573東京の美少年故郷の灯は消えず
141961年10月20日VS-587俺ら次郎長喧嘩旅TBS連続時代劇『俺ら次郎長』主題歌
15○1961年11月30日VS-605北海の暴れん坊(伊太郎笠)
161961年12月15日VS-612花の兄弟兄弟鴉大映映画『花の兄弟』主題歌
171962年1月10日VS-617江梨子(初恋の湖)大映映画『江梨子』主題歌
181962年2月5日VS-642悲恋の若武者いで湯恋しや大映映画『悲恋の若武者』主題歌
191962年3月22日VS-693
SVS-21(この日のために
?東京オリンピックの歌?)東京オリンピック音頭共演:市丸松島アキラ神楽坂浮子


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