横綱
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同時在籍人数の最多は4名で、横綱不在になったこともある。「4横綱」を参照
歴史
横綱の誕生以前

横綱および横綱土俵入りが何をベースに誕生したかは、定かでない。

江戸初期の頃、邸宅を立てる時の地鎮祭に当時の大関を2人呼び、地面にたくさんの綱を張った中で四股を踏ませた。このお祓いの地踏みに参加する資格を与えられることを「横綱之伝」と言ったとされるが、これが歴史的事実であるかどうかは極めて疑わしいとされている。

また、古くは戦国時代に黒と白の絹を混ぜて撚り合わせた綱の記述が文献に見え、この綱を締めた力士は江戸時代中頃の宝暦から安永にかけての浮世絵にその姿を留めている。これを応用したとする指摘もあるが、この白黒の綱には四手も垂らされておらず、1人土俵入りを行ったわけでもないので、化粧まわしの装飾品だったと考える方が自然である[2]
横綱の誕生「横綱一覧」も参照

その後興行としての江戸相撲が人気を博すようになると、吉田司家行司の総元締めとしての権力を保持するため横綱免許を与えて横綱を作ることを考えた。それまでの将軍家の観戦する上覧相撲寺社への奉納相撲等特別な式典に際して行っていた土俵入りを、土俵上で行っていた顔見世土俵入りと結び付け、綱を締めさせて1人で土俵入りを披露させることにした。

そして1791年(寛政3年)、第11代将軍・徳川家斉の上覧相撲において二代目 谷風梶之助仙台の谷風)と小野川喜三郎が行った紙垂をたらした純白の綱をつけた土俵入りが天下公認となり、横綱が誕生することになった。これが、今日につながる「横綱」の始まりとされる。

しかし、当時はまだ横綱免許の慣習は定着しておらず、谷風・小野川両名のあとは、雷電為右衛門など力量のある力士はいたにもかかわらず、永らく吉田司家による横綱免許は行われなかった。その後、五条家から両大関玉垣柏戸が横綱免許を受けたが、この頃、横綱のステータスはまだ認知されていなかったのか、玉垣・柏戸が免許を受けたので横綱土俵入りをしたという記録は見つかっていない。これに吉田司家は触発されたか、この直後、谷風・小野川から38年ぶりとなる横綱免許を、阿武松緑之助に対して発行。本場所での土俵入りも始まる。この頃、吉田司家は主君である熊本藩細川家の威を背景として京都五条家との免許権争いに勝利し、吉田司家による横綱免許の授与が制度化され、吉田司家の免許を持つ者が正式な横綱として認められるようになった。吉田司家は明治初期に西南戦争連座して一時期権威を失うが、1884年(明治17年)2月に免許を受けた第15代横綱・初代梅ヶ谷が吉田司家の免許を希望し、復権する。

なお、この時点では、「横綱」は、大関の中で綱を付けられる者の称号であって、番付での最高位はあくまで大関であった。番付に横綱の文字が掲載されるようになったのは、1890年(明治23年)5月場所である。これは、第16代横綱・初代西ノ海嘉治郎が東正大関小錦八十吉に対して東張出大関にされ下風に立ったような形になった西ノ海をなだめる方法として横綱と記したのである。これは便宜的措置であって正式に地位とされたわけではないが、続く小錦以後の横綱も、免許後は番付に「横綱」として記載される習慣が続いたことで、1909年(明治42年)2月には相撲規約改正のとき、横綱が正式な地位とされることになった[3]。「横綱は大関の中の強豪」という考え方が一般的になると、本場所での成績によって横綱を免許されるようになった。その最初のケースは、第17代横綱・初代小錦だったと言われている。

横綱が大関の名誉称号であった時代の横綱に対しては「横綱を免許される」、地位となって以降は「横綱に昇進する」という様に、表現を使い分ける場合もある。但し、誰までが「免許」で誰からが「昇進」かはっきりした基準があるわけでもなく、区分は明確ではない。第15代横綱・初代梅ヶ谷藤太郎までは番付が大関のままだったのでこれを基準とする見方や、第19代横綱・常陸山谷右エ門と20代横綱・2代梅ヶ谷藤太郎の同時免許(このときの代数は、年長の常陸山を19代と決めている)で横綱は大関の上位と認識されるようになったのでこれを基準とする見方、史上初の相撲協会推挙による横綱である第41代横綱・千代の山雅信を基準とする見方がある。

1900年、第12代横綱・陣幕久五郎富岡八幡宮に「横綱力士碑」を建立し、ここに掲載された横綱の代数が、現在に至るまでの正式な横綱一覧として公認されるようになった。

なお、大坂相撲および京都相撲にも、吉田司家の免許を持つ公認横綱は存在したが、これらの横綱は、後に追認を受けた力士を除くと、上記の歴代横綱として認められていない。
非公認横綱

相 撲四股名免 許備考
東京相撲初代朝汐太郎吉田司家長年の功績を讃える一日限りの特例免許
大坂相撲八陣信蔵五条家免許
高越山谷五郎五条家免許
八陣調五郎神理教免許
京都相撲小野川才助五条家免許
兜潟弥吉五条家免許
大碇紋太郎五条家免許
礒風音治郎吉田司家巡業用の特例免許

吉田司家以外の免許で土俵入りを行った力士の中には吉田司家に遠慮して綱の色(黄色が多かったという)を変えたり吉田司家の地元熊本では土俵入りを行わなかったりする者もいた。吉田司家以外から横綱免許の話を持ち掛けられたが断った力士も存在する。後述の通り、横綱免許を巡る事件も幾つか発生している。以降、第40代横綱・東富士までの横綱は、吉田司家で行われる本免許状授与式で免許を授与され、奉納の土俵入りを行うことが通例であった。

しかし、1950年(昭和25年)に横綱の濫造を指摘された日本相撲協会が横綱の権威を保つために、横綱免許の家元である吉田司家ではなく、相撲に造詣が深い有識者に横綱を推挙してもらうことを目的として横綱審議委員会(横審)を発足させたことで、1951年(昭和26年)5月場所後の第41代横綱・千代の山以降に吉田司家の横綱本免許状授与式は廃止となり行われていない。

慣例として、九州巡業や11月場所(九州場所)前に新横綱が熊本市の吉田司家を表敬訪問し、土俵入りを披露する慣わしも踏襲されたが、司家の経済問題が発覚した1986年(昭和61年)に吉田司家は横綱免許の授与に関する権限を日本相撲協会に委嘱(事実上協会と吉田司家が絶縁した)。これにより、現在では横綱免許は協会及び横審の内部で完結している。
昇進
横綱審議委員会への諮問詳細は「横綱審議委員会」を参照

現在では、以下の手続きを踏むことで、横綱免許が行われる。

番付編成を所管する審判部を代表して、審判部長から日本相撲協会理事長に、該当力士の横綱昇進について審議する臨時理事会の召集を要請する。

理事長はこれを受けて、横綱審議委員会(横審)に当該力士の横綱昇進について諮問する。

横審は諮問を受け、内規等に照らして当該力士の品格・力量等を審査する。内規では大関で2場所連続優勝した力士の推薦を原則とし、これに準ずる好成績を挙げた力士の場合は出席委員の3分の2以上の賛成があれば横綱推薦を日本相撲協会の理事長に答申する。

答申を受けて臨時理事会において横綱昇進について決議し、正式に横綱昇進の可否を決定する(理事会は横審の答申を「尊重する」とされるため、横綱昇進の可否は、横審の答申後に事実上確定すると考えてよい)。

伝達式詳細は「昇進伝達式」を参照

理事会で横綱昇進が決定すると、大関昇進時と同様に協会の使者として理事と審判委員各1名ずつが当該力士のもと(通常、東京場所なら所属部屋、地方場所なら宿舎である旅館・寺社など)にその旨を伝達に訪れ、「昇進伝達式」が行われる。通常、力士の地位は新番付の発表を待って有効になるが、横綱昇進に関しては、当該力士は、新番付の発表を待たずにこの時点で横綱として扱われる。
横綱昇進前3場所成績明治神宮での稀勢の里の奉納土俵入り(2017年1月27日撮影)

一場所15日制が定着した1949年(昭和24年)以降。

大:大関、関:関脇

◎は優勝、◯は優勝同点、△は優勝次点、四股名は昇進時

昇進場所四股名3場所前2場所前直前場所3場所合計勝率優勝
1951年(昭和26年)9月千代ノ山雅信大・11勝4敗大・8勝7敗大・14勝1敗◎33勝12敗.7333回
1953年(昭和28年)3月鏡里喜代治大・11勝4敗大・12勝3敗△大・14勝1敗◎37勝8敗.8221回
1954年(昭和29年)3月吉葉山潤之輔大・14勝1敗△大・11勝4敗大・15戦全勝◎40勝5敗.8891回
1955年(昭和30年)1月栃錦清隆大・9勝6敗大・14勝1敗◎大・14勝1敗◎37勝8敗.8224回
1958年(昭和33年)3月若乃花勝治大・11勝4敗大・12勝3敗△大・13勝2敗◎36勝9敗.8002回
1959年(昭和34年)5月朝汐太郎大・14勝1敗◎大・11勝4敗△大・13勝2敗△38勝7敗.8444回
1961年(昭和36年)11月柏戸剛大・10勝5敗大・11勝4敗大・12勝3敗◯33勝12敗.7331回
大鵬幸喜大・11勝4敗△大・13勝2敗◎大・12勝3敗◎36勝9敗.8003回
1964年(昭和39年)3月栃ノ海晃嘉大・11勝4敗大・14勝1敗◎大・13勝2敗38勝7敗.8442回
1965年(昭和40年)3月佐田の山晋松大・13勝2敗△大・13勝2敗△大・13勝2敗◎39勝6敗.8673回
1970年(昭和45年)3月玉の海正洋大・13勝2敗◎大・10勝5敗大・13勝2敗◯36勝9敗.8002回
北の富士勝昭大・12勝3敗△大・13勝2敗◎大・13勝2敗◎38勝7敗.8443回
1973年(昭和48年)3月琴櫻傑將大・9勝6敗大・14勝1敗◎大・14勝1敗◎37勝8敗.8224回


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