横溝正史
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横溝は物語作りの天才でした」と評している[8][44]

「探偵作家」を自負し、中島河太郎が横溝のことを「最後の探偵作家」と折り紙をつけたことに気を良くしており、「推理作家」と呼ばれることに抵抗を感じていた[1][注 19]。同様に、自身の小説が「推理小説」と呼ばれることを嫌い[1]、自身の小説を最後まで「探偵小説」と言い続けた[45][注 20]

横溝の長男である音楽評論家[9]横溝亮一によると、横溝が一番親しみを感じていた作家はアガサ・クリスティ[46]、酔っぱらうと「コナン・ドイルに及びもないが、せめてなりたやクリスティー」という戯れ歌をよく口にしたという[30]

戦前派探偵小説における唯一の現役作家であった(しかも晩年に突如空前のブームを迎えた)こともあり、困窮し病に伏した往年の作家仲間に援助したり、再刊の口利きをしつこく頼んでくる遺族に辛抱強く応対したりする様子も、公刊日記に控えめに記されている。

横溝は閉所恐怖症で、大の電車・飛行機嫌いであった[8][47]。電車に乗る際は必ず酒の入った水筒を首からさげ[注 21]、それを飲みながら電車を乗り継いだ。時には妻とともに乗ることもあったが、その際には妻が横溝の手をずっと握っていないとダメだったという。電車・飛行機嫌いの理由の一つに、“閉鎖空間でいつ喀血するか分からない怖さ”もあった。また、喀血だけでなく、血を見ること自体苦手だった[注 22]

酒は主に自宅での晩酌を好み、若い頃は毎晩月桂冠を1升飲み、後にウイスキーの水割りを愛飲するようになった[8][47]。晩年も酒を欠かさず、時折乱れて妻を困惑させるさまは公刊日記にそのまま記されている[48]

愛煙家で、好きな銘柄はピース[8][47]。“火を点けて少し吸っては消す”という吸い方で、一日50本以上吸っていた[8][47]横溝正史疎開宅
岡山県倉敷市真備町岡田1546)成城の自宅にあった書斎(横溝正史館

無類の愛犬家・愛猫家で、生前飼っていた愛犬には代々「カピ」と命名した[8]。また、『白と黒』などいくつかの作品にもカピという名の犬を登場させている[8]

プロ野球球団では近鉄バファローズの大ファンであった[8]

昭和モダニストのたしなみ程度であるがクラシック音楽を好み、他にもシャンソンのレコードをよく聞いていた[注 23]。『悪魔が来りて笛を吹く』『仮面舞踏会』『蝶々殺人事件』『迷路荘の惨劇』など、クラシック音楽がらみの長編もある。長男の亮一は『東京新聞』記者を経て音楽評論家となり、急逝直前のバス歌手・大橋国一との対談(新版全集収録)は亮一がセッティングした。

岡山県倉敷市真備町にあった疎開宅は、横溝の生誕100年にあたる2002年より「横溝正史疎開宅」として一般公開されている[49]

東京都世田谷区成城にあった横溝の書斎(1955年(昭和30年)頃建築)は、山梨県山梨市に移築され[9]、2007年(平成19年)3月25日より「横溝正史館」として公開されている。

『仮面舞踏会』などいくつかの作品の舞台に設定した長野県軽井沢町に1959年(昭和34年)から別荘を所有しており、晩年まで毎年のようにそこで夏を過ごし、成城の自宅と共に執筆の拠点でもあった[50]。別荘に遺された小説草稿やノートなどは次女の野本を経て、横溝正史旧蔵資料をコレクションしている二松学舎大学に2021年12月に寄贈された[51]。旧宅や遺品については「所蔵品」節にて後述
解説

横溝の作品は、編集者と兼業して、あるいは闘病生活と並行して執筆が進められた戦前の作品と、戦時中の抑圧から解放されて精力的に執筆を進めた戦後の作品とに大別することができる。

戦前の作品は華麗な美文調の文体とロマンチシズムの香気に溢れた耽美的な変格物が多い。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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