横溝正史
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^ 『古城の秘密』は『813』の翻案作品。同書の前篇[34]は1912年(大正元年)11月15日に、後篇は1913年(大正2年)2月4日にそれぞれ武侠世界社から出版された[35][36][37]
^ 横溝が『古城の秘密』前篇を読んだのは小学6年生時の1914年(大正3年)であるが、後篇は神戸中の本屋を探し回って見つからず、神戸市立図書館の目録に見つけたものの常に貸し出し中で、1917年(大正6年)にようやく閲読することができた[38]。ただし、同書を先に読んでいた同級生の西田徳重からストーリーを教えられたため、興趣をそがれた読書となってしまった[38]
^ 具体的には、乱歩が1925年末に東京に引っ越し、翌1926年に横溝のもとに「トモカク スグコイ」と電報が届いた。乱歩の身を案じて慌てて東京に駆けつけると、「君の顔が見たかっただけ」と告げられ拍子抜けした。乱歩は冗談のつもりだったが反省し、正史を大手出版社・博文館に編集者として就職させた。
^ 乾は生前に1945年から1948年までの4年分の横溝の書簡32通を熊本市の「くまもと文学・歴史館」に寄贈した。さらに乾の没後、遺族から遺品の寄贈を受けた同館は、その中から横溝が乾に宛てた書簡240通を発見した[39]
^ 出版社から探偵小説では売れないから推理小説にしてくださいといわれれば、結構ですよとはいうものの、本音は「推理作家とはおれのことかと正史いい」と歎いている旨を記している[1]
^ 「辞世」に「私はまだまだ死なないつもりである。まだまだ探偵小説なるものを書いていくつもりである。」と記している[45]
^ 『横溝正史読本』によれば一種のアル中だと自己診断している。
^ 野本によると「父はあれだけ血生臭い作品を書いていたのに、ヒゲ剃りで失敗して少し血が出るたび『大変だ!』と独りで大騒ぎしていました」と回想している[8][47]
^ 野本によると、戦時中に自宅がB29の爆撃を受けた際、横溝はわざと大音量でベートーヴェンの『田園交響曲』をかけながら、「この芸術が分かるか!」と飛行機に向かって髪を振り乱しながら叫んだこともあったという[8][47]
^ 1974年の夏、横溝が揮毫した色紙には「謎の骨格に論理の肉付けをして、浪漫の衣を着せましょう」と書きつけられている[61]
^ 「金田一耕助シリーズ」の第1作。
^ 「金田一耕助最後の事件」として知られる。
^ 横溝正史による最後の長編。
^ 横溝正史の処女作の短編。
^ 横溝正史の最初の長編。
^ ノンシリーズ(シリーズ外作品)であるが映画化されており、ニューハーフの松原留美子が姉を演じて話題となった。
^ 主人公は不知火甚左。横溝正史の捕物帳シリーズ最初の作品。
^ 横溝の書いた初捕物帳。西洋人が黒幕で江戸城大奥にも絡む、大掛かりな新興宗教の本山が敵というスケールの大きな作品となっている。
^ 島抜けの直次郎(御家人くずれ)は後の「人形佐七」にも登場。
^ 「三人羽子板娘」の別題あり。
^ 『人形佐七捕物帳1 嘆きの遊女』嶋中文庫(2005年)収録。
^ 「振袖幻之嬢」の別題あり。
^ 振袖を着た女装美少年・幻之丞(実は大身旗本の正室(江戸御前)の息子)登場。旗本の隠し子で女装の美男という設定は、のちの女装の女狂言師「お美乃(舞台で男役の時は坂東蓑次)」として敵の屋敷に潜入する「お役者文七」に引き継がれている。
^ 『横溝正史時代小説コレクション-捕物篇2』出版芸術社(2004年)収録。
^ 『人形佐七捕物帳全集8(新装版)』春陽文庫(1984年)収録。
^ 花吹雪左近が難事件に挑む。
^ 旗本・服部左門を主人公にした捕物帳。
^ 性別を問わず変装できる美男・お役者文七(正体は大身旗本のご落胤)を中心に、だるま親分・その妻でお吉・女装姿の文七に惚れるお小夜などが活躍する推理群像劇。
^ 第一長編。中村錦之介主演で映画化(東映『お役者文七捕物暦 蜘蛛の巣屋敷』1959年)。
^ 題名のほかは草稿の一部が判明しているのみの「幻の作品」とされていたが、1941年6月12日 - 12月29日の『新潟毎日新聞』(途中の8月1日から『新潟新聞』と統合して『新潟日日新聞』)に連載されていたことが発見され、2018年3月8日に戎光祥出版から単行本 ISBN 978-4-86403-281-0 として刊行された。
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