横溝正史
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]


^ 「柿木」は「かきのき」と読む[14]。『横溝正史の世界』には「柿の木」と記載されている[15]。生薬屋の注釈で後述するように、総社町を中心に、真備町岡田や清音村あたりまで「備中売薬」という置き薬が盛んな地で、かつては「日本五大売薬」に挙げられる時代もあった[16]
^ 生薬屋は母親が営んでいたもので、母親の生家の柿木は総社に近く、その辺一帯が置き薬の製造販売が盛んな地であったことから、母親の生家もそれに関係していたのではないかというのが、横溝の長女・℃q(現・高松℃q)の説である[15]
^ この時の規制は連載のみで単行本化はできたので本人によるとこの方の印税で終戦まで食いつなげたという。
^ 『金田一耕助のモノローグ』には「4月の終わりか5月上旬のことであったろう」と記載されている[22]
^ 清張と正史のお互いに対する考えは、「松本清張#推理作家」の横溝正史に関する記述を参照。
^ 実際には横溝は超常現象的な内容はほとんど書かない。角川文庫収録作品では@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}話の端[要校閲]的にのせられた短編を除くと『髑髏検校』に例外的に妖怪が登場する。
^ 第1位は松本清張、第5位は森村誠一、第10位が高木彬光であった[27]
^ 封切り初日に、プロデューサーの葛井欣士郎から作者に「先生、ヒットです、ヒットです。あまりの観客にドアがしまらないくらいです」と電話があり、京都でもヒットしていると監督の高林陽一から電話があった[28]
^ 彫刻家の平櫛田中は当時103歳。別のインタビュー記事では「田中さん」となっている[29]
^ アガサ・クリスティは、横溝が戯れ歌を詠んだ時点で84歳(横溝は当時72歳)。その翌年の1月12日に85歳で没したが、晩年まで現役作家であったクリスティの死を悼んで、横溝の寄稿文が朝日新聞に掲載された。
なお、横溝が酔うとよく口にした戯れ歌は長男・亮一が記したところでは「コナン・ドイルに及びもないが、せめてなりたやクリスティー」である[30]。他方、次女の野本瑠美によれば「田中さんには及びもないが、せめてなりたやクリスティー」を日ごろ口にしていたという[31]。もっとも、コナン・ドイルは71歳で没しており、「田中さんには及びもないが」の戯れ歌を詠んだ当時の横溝はその年齢を上回っている。
^ この4作は、長野県、静岡県、東京都、岡山県と、横溝が好んで舞台にした4つの都県を一巡している。
^ 『古城の秘密』は『813』の翻案作品。同書の前篇[34]は1912年(大正元年)11月15日に、後篇は1913年(大正2年)2月4日にそれぞれ武侠世界社から出版された[35][36][37]
^ 横溝が『古城の秘密』前篇を読んだのは小学6年生時の1914年(大正3年)であるが、後篇は神戸中の本屋を探し回って見つからず、神戸市立図書館の目録に見つけたものの常に貸し出し中で、1917年(大正6年)にようやく閲読することができた[38]。ただし、同書を先に読んでいた同級生の西田徳重からストーリーを教えられたため、興趣をそがれた読書となってしまった[38]
^ 具体的には、乱歩が1925年末に東京に引っ越し、翌1926年に横溝のもとに「トモカク スグコイ」と電報が届いた。乱歩の身を案じて慌てて東京に駆けつけると、「君の顔が見たかっただけ」と告げられ拍子抜けした。乱歩は冗談のつもりだったが反省し、正史を大手出版社・博文館に編集者として就職させた。
^ 乾は生前に1945年から1948年までの4年分の横溝の書簡32通を熊本市の「くまもと文学・歴史館」に寄贈した。さらに乾の没後、遺族から遺品の寄贈を受けた同館は、その中から横溝が乾に宛てた書簡240通を発見した[39]
^ 出版社から探偵小説では売れないから推理小説にしてくださいといわれれば、結構ですよとはいうものの、本音は「推理作家とはおれのことかと正史いい」と歎いている旨を記している[1]
^ 「辞世」に「私はまだまだ死なないつもりである。まだまだ探偵小説なるものを書いていくつもりである。」と記している[45]
^ 『横溝正史読本』によれば一種のアル中だと自己診断している。
^ 野本によると「父はあれだけ血生臭い作品を書いていたのに、ヒゲ剃りで失敗して少し血が出るたび『大変だ!』と独りで大騒ぎしていました」と回想している[8][47]
^ 野本によると、戦時中に自宅がB29の爆撃を受けた際、横溝はわざと大音量でベートーヴェンの『田園交響曲』をかけながら、「この芸術が分かるか!」と飛行機に向かって髪を振り乱しながら叫んだこともあったという[8][47]
^ 1974年の夏、横溝が揮毫した色紙には「謎の骨格に論理の肉付けをして、浪漫の衣を着せましょう」と書きつけられている[61]
^ 「金田一耕助シリーズ」の第1作。
^ 「金田一耕助最後の事件」として知られる。
^ 横溝正史による最後の長編。
^ 横溝正史の処女作の短編。
^ 横溝正史の最初の長編。
^ ノンシリーズ(シリーズ外作品)であるが映画化されており、ニューハーフの松原留美子が姉を演じて話題となった。
^ 主人公は不知火甚左。横溝正史の捕物帳シリーズ最初の作品。
^ 横溝の書いた初捕物帳。西洋人が黒幕で江戸城大奥にも絡む、大掛かりな新興宗教の本山が敵というスケールの大きな作品となっている。
^ 島抜けの直次郎(御家人くずれ)は後の「人形佐七」にも登場。
^ 「三人羽子板娘」の別題あり。
^ 『人形佐七捕物帳1 嘆きの遊女』嶋中文庫(2005年)収録。
^ 「振袖幻之嬢」の別題あり。
^ 振袖を着た女装美少年・幻之丞(実は大身旗本の正室(江戸御前)の息子)登場。旗本の隠し子で女装の美男という設定は、のちの女装の女狂言師「お美乃(舞台で男役の時は坂東蓑次)」として敵の屋敷に潜入する「お役者文七」に引き継がれている。
^ 『横溝正史時代小説コレクション-捕物篇2』出版芸術社(2004年)収録。

次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:180 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef