横浜DeNAベイスターズ
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なお、大阪スタジアムが一応のメイン球場ではあるが、松竹時代の本拠地・西京極総合運動公園野球場では、1953年に18試合、1954年も15試合の主管試合を行っており、京都新聞社が主催していた[9]が、下関での主管試合は、1953年2試合=9月6日の読売巨人軍戦のダブルヘッダー[167]、1954年3試合=4月4日の大阪タイガース戦のダブルヘッダー、4月11日の読売巨人軍戦シングル[168]の2年間で合計5試合にのみにとどまってしまった。

1955年 - 1977年 川崎球場[注釈 64]

1978年 - 横浜スタジアム

なお、2020年は東京オリンピック/東京パラリンピックの開催により、横浜スタジアムは、硬式野球(男子)とソフトボール(女子)の試合会場として使われ、その準備などの都合により、6-9月の一部試合の開催ができないため、東京ドームで6試合、新潟県立野球場や、千葉ロッテマリーンズの本拠地千葉マリンスタジアムでの代替開催も予定していたが[169]、オリンピックの開催延期に伴い、全て横浜スタジアムに変更となった[170]

2021年は延期になった東京オリンピック/東京パラリンピックの開催により、横浜スタジアムは、硬式野球(男子)とソフトボール(女子)の試合会場として使われ、その準備などの都合により、6-8月の一部試合の開催ができないため、東京ドームで6試合、新潟県立野球場で2試合、東京ヤクルトスワローズの本拠地明治神宮野球場で5試合の代替開催を行っている。
歴代監督

※太字はリーグ優勝、◎は日本一

代氏名就任[※ 1]退任[※ 2]備考
大洋1渡辺大陸1950年1950年ここから大洋ホエールズ(第1次)
2中島治康1951年1951年6月30日選手兼任監督
3有馬義一1951年7月18日1951年当時の球団専務(選手・指導者歴なし)
洋松4小西得郎1952年1953年ここから大洋松竹ロビンス
5永沢武夫1954年1954年ここから洋松ロビンス
大洋6藤井勇1955年1955年選手兼任監督
ここから大洋ホエールズ(第2次)
7迫畑正巳1956年1958年
8森茂雄1959年1959年
9三原脩◎1960年1967年
10別当薫(第1次)[※ 3]1968年1972年8月30日
11青田昇1973年1973年
12宮崎剛1974年1974年
13秋山登1975年1976年1977年二軍監督
14別当薫(第2次)1977年1979年1978年から横浜大洋ホエールズ
15土井淳[※ 4]1980年1981年9月24日
16関根潤三1982年1984年
17近藤貞雄1985年1986年
18古葉竹識1987年1989年
19須藤豊1990年1992年5月2日
20江尻亮1992年5月3日1992年
横浜21近藤昭仁1993年1995年ここから横浜ベイスターズ
22大矢明彦(第1次)1996年1997年
23権藤博◎1998年2000年
24森祇晶[※ 5]2001年2002年9月25日
25山下大輔2003年2004年
26牛島和彦2005年2006年
27大矢明彦(第2次)[※ 6]2007年2009年5月17日
28尾花高夫2010年2011年
DeNA29中畑清2012年2015年ここから横浜DeNAベイスターズ
30アレックス・ラミレス2016年2020年球団初の外国人監督(2019年に日本国籍取得)
31三浦大輔2021年
^ 日付はシーズン途中で就任した場合のみ記載。
^ 日付はシーズン途中で退任した場合のみ記載(休養は含まない)。その他は原則として年度末退任。
^ 1972年8月30日まで指揮、残り試合は青田昇宮崎剛が代行。
^ 1981年9月24日まで指揮、残り試合は山根俊英が代行。
^ 2002年9月25日まで指揮、残り試合は黒江透修が代行。
^ 2009年5月17日まで指揮、残り試合は田代富雄が代行。

歴代オーナー

中部兼市(1950年 - 1953年)

中部謙吉(1953年 - 1977年)

中部新次郎(1977年 - 1990年)

中部慶次郎(1990年 - 2001年)

砂原幸雄(2001年 - 2004年)

若林貴世志(2004年 - 2011年)

春田真(2012年 - 2015年)

南場智子(2015年 - )

永久欠番

球団の永久欠番は次の通り。

なし

マルハ(現・マルハニチロ)時代の1997年より、100を永久欠番として球団に対して貢献のある複数の著名人に与えていたが、2012年に育成ドラフト1位で入団した今井金太が着用したことにより、撤廃された。


準永久欠番

18:
三浦大輔

横浜大洋ホエールズ時代の1992年から2016年にかけて横浜一筋で活躍した投手。球団は引退に際し、1998年以降[注釈 65]、三浦が着用し続けた「背番号18」を「プレー・振る舞いの両面でチームを牽引するとともに、チームの象徴となるべき選手がつける番号」(通称「横浜ナンバー」)とした。ふさわしい後継者が現れるまで「横浜ナンバー」は欠番とし、ふさわしいと思われる選手が現れた場合には三浦と球団が協議したうえで決定する、としている[171]。その後、2019年からチームの投手コーチ(2020年は二軍監督)に就任した三浦が再度着用していたが、2020年オフの一軍監督就任時に数字を逆にして81に変更した。

2022年からは小園健太が着用する[172]


25:筒香嘉智

プロ入り3年目の2012年から2019年まで[注釈 66]着用。同年オフのMLB挑戦の際に「彼が帰ってくるまで空けておく。現役の間は、ほかの選手がつけることはない」(三原球団代表)として、準永久欠番として扱うことが決まった[173]

2024年に筒香がチームに復帰し、背番号25を着用することが発表された[114]


沢村栄治賞受賞者

平松政次 :1回(1970年)

遠藤一彦 :1回(1983年)

三冠王(投手・打者)
投手三冠王

2023年シーズン終了時点で達成者はいない[174]


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