横浜市
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1909年(明治42年)には開港50周年を迎え、この年の7月1日[注釈 9]から3日間にわたって、横浜開港50年祭と銘打った数々の記念行事が催され、「全市は殆ど家族打連れて外出せしやの観あり」と伝えられた[63]。できたばかりの新港埠頭で行われた式典では、森?外の作詞による『横浜市歌』が、市内小学生の合唱によって初めて披露され、各国艦船は祝砲を放った。また、この時、市章の「浜菱」が制定され、市民の寄付による開港記念横浜会館(1917年(大正6年)竣工。現・横浜市開港記念会館、ジャックの塔)の建設が計画されるなど、市制施行20周年と併せて盛大に祝われた。大正時代に入ると、鶴見川河口の埋立が始まって京浜工業地帯が形成され始め、横浜港は工業港としての性格をも持ち始めることとなる。
震災と戦災、接収の時代関東大震災直後の横浜を視察する摂政宮(後の昭和天皇氷川丸(中区)

1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災(大正関東地震)では、横浜港、関内を始め、市内全域で甚大な被害を受けた。東京より震源に近く、ほぼ直下型地震の直撃を受けた横浜市内は特に壊滅的な被害を受け[注釈 10]、各国領事館の建物は全て倒壊。山手(横浜)地区の洋館群も壊滅的被害を受け、港湾機能・対外貿易都市としての機能は完全にマヒした。その後、震災復興事業により、日本大通りの拡幅、山下公園の造成、横浜三塔に数えられる神奈川県庁舎(キングの塔)や横浜税関庁舎(クイーンの塔)の建設などが行われ、1929年(昭和4年)にはほぼ旧状に復した。

昭和時代に入り、1927年(昭和2年)4月に第3次市域拡張が行われ、同年10月には区制が施行されて、鶴見区、神奈川区、中区、保土ケ谷区、磯子区の5区が置かれた。以降も第6次まで続く市域拡張(1939年(昭和14年))と東京湾岸の埋立により市域は拡大し、市域面積は437.38 km2(2006年(平成18年))、行政区の数は18区となっている。1930年(昭和5年)前後には、現在山下公園に係留されている氷川丸など、豪華客船の就航が相次ぎ、横浜港は太平洋航路の乗船地として、客船黄金時代の一翼を担った。また、このころの横浜港は、生糸貿易港から工業港へと変貌し、輸出、輸入とも、機械類・金属製品、鉄鋼の割合が高まった。この傾向は、第二次世界大戦中の軍需生産期、戦後の高度経済成長期を経て、より強まっていった。

第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)5月29日の横浜大空襲では、磯子区から鶴見区に至る沿岸部が焼き尽くされ、中区、西区の中心市街地は壊滅した[注釈 11]戦時中を通じての空襲による被害は、罹災面積6,940,000坪、罹災人口399,187人、罹災戸数98,361戸、死者5,830人、負傷者14,215人に及び、市街地の46%が被害を受けた[64]。同年8月の終戦によりイギリス軍アメリカ軍ソビエト連邦軍を中心とした連合国軍が進駐し、横浜の中心市街地と横浜港は接収され、都市機能は麻痺した[注釈 12]。連合国軍は、横浜税関ビルに連合国軍最高司令官総司令部(GHQ、後に東京の第一生命ビルに移転)と太平洋陸軍総司令部(AFPAC)を置き、軍事拠点とした。戦争末期に連合艦隊司令部など(日吉台地下壕)が置かれた港北区日吉慶應義塾大学キャンパスもアメリカ軍に接収された[65]。空襲とそれに引き続く接収により、横浜の復興は大幅に遅れた。

1950年(昭和25年)、横浜国際港都建設法が制定され、復興に向けた取り組みが本格化する。1951年(昭和26年)には、サンフランシスコ講和条約が締結され日本の連合国による占領体制が終わり、新たに市長となった実業家で元貴族院議員の平沼亮三の下、接収解除に向けて動き始めた。また、この年には、横浜港の管理が国から市に移管された。条約が発効した翌1952年(昭和27年)以降、大さん橋や山下公園などが次々と接収解除された。1957年(昭和32年)には横浜国際港都建設総合基幹計画が決定され、今日に至るまでの都市計画の骨子となった。なお市域には150万m2余の在日米軍施設がある(2021年(令和3年)1月1日現在)[66]
戦後の発展

1956年9月1日、制度の開始とともに、政令指定都市に指定される。このころから、相模鉄道を中心とした横浜駅西口の開発が始められた。1959年に行われた開港100周年記念祭では、横浜公園平和野球場(現・横浜スタジアム)で、横浜出身の美空ひばり草笛光子が3万人の観客を前に歌った。


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