幕末に開港された横浜港を擁する港湾都市であり、外国資本が積極的に当地に進出(詳しくは後述)。そのため近代日本において東北地方や関東甲信地方で生産された生糸の輸出を通して有数の外資獲得力を誇った。外国資本の進出とともに、市内には多くの外国商社が立ち並び、英国総領事館やフランス領事館も置かれるなど外国の空気の色濃く香る景観が形成された。横浜港は舶来品の玄関口となり、街中にガス灯などがいち早く導入された横浜は文明開化の中心基地となる。現在でも西洋近代建築の歴史的建造物が多く残され、山手の旧外国人居留地や横浜赤レンガ倉庫などは観光地にもなっている。
関東大震災後は政府による積極的な振興政策により、隣接する川崎市などとともに京浜工業地帯の中核都市となった。第二次世界大戦後は本牧地区など旧市域の広範囲が在日米軍に接収されたが、結果としてジャズなどのアメリカ文化が広まり、隣接する横須賀とともに日本国内におけるそれらの発信地となった。1989年の横浜博覧会 (YES'89) 以降、ウォーターフロント計画の横浜みなとみらい21が本格始動し、歴史的建造物や自然環境に配慮しつつ、高層ビルが立ち並ぶ先進的な街造りが行われた[25]。その中には横浜ランドマークタワーやコスモクロック21、横浜赤レンガ倉庫と言った横浜のランドマーク的建築物も存在する。景観の良さからドラマのロケ地に選ばれることも多くなっており、現代では首都圏的な先進性の中にも自然環境と異国情緒が残る、「お洒落で海が近い街」「近代的な港町」といったイメージを持たれている[26][27]。一方で、これらの都会的なイメージに合致する街は、市制が施行された1889年当時の旧市域(西区や中区の沿岸部)であり、市の大部分は住宅街や農地、森林である。