1889年4月1日に市制が施行され、横浜市となった[注釈 5]。市域の面積は、市制施行時には横浜港周辺の5.4 km2 にすぎなかったが、6次にわたる拡張と沿岸部の埋立てにより437.71 km2 (2020年)となっている。1922年には東京市・名古屋市・京都市・大阪市・神戸市とともに六大都市に指定された。1923年に発生した関東大震災では震源により近かったことから東京以上の被害を受け、市街地は壊滅したが震災の復興計画で山下公園などが建設された[20]。1927年の区制施行で市域は5区に分けられ、周辺町村の合併と区域の再編を経て、行政区の数は18区となっている。市制施行時の横浜市の人口は約12万人だったが、その後は東京都市圏の拡大と東京一極集中の影響で第二次世界大戦中の一時期を除いて増加の一途をたどり、現在では約377万人となった。これは日本の市区町村では最も多く、人口集中地区人口も東京23区(東京特別区)に次ぐ。これは市の面積が大阪市の2倍程度、名古屋市の約1.5倍程度と広大なこと、市内に山地や湖など居住に適さない地形がほとんどないこと、市内全域が東京都心への通勤圏内であるために東京のベッドタウンとして市内の多くが宅地化されていることといった要因によるものである。ただし人口密度は大阪市、川崎市などのほうが高い。1956年には政令指定都市に[21]、1988年には業務核都市[22]、2011年には環境未来都市と国際戦略総合特区に指定され[23]、2012年には横浜駅周辺地区などが特定都市再生緊急整備地域[24]に指定された。 幕末に開港された横浜港を擁する港湾都市であり、外国資本が積極的に当地に進出(詳しくは後述)。そのため近代日本において東北地方や関東甲信地方で生産された生糸の輸出を通して有数の外資獲得力を誇った。外国資本の進出とともに、市内には多くの外国商社が立ち並び、英国総領事館やフランス領事館も置かれるなど外国の空気の色濃く香る景観が形成された。横浜港は舶来品の玄関口となり、街中にガス灯などがいち早く導入された横浜は文明開化の中心基地となる。現在でも西洋近代建築の歴史的建造物が多く残され、山手の旧外国人居留地や横浜赤レンガ倉庫などは観光地にもなっている。 関東大震災後は政府による積極的な振興政策により、隣接する川崎市などとともに京浜工業地帯の中核都市となった。第二次世界大戦後は本牧地区など旧市域の広範囲が在日米軍に接収されたが、結果としてジャズなどのアメリカ文化が広まり、隣接する横須賀とともに日本国内におけるそれらの発信地となった。1989年の横浜博覧会 (YES'89) 以降、ウォーターフロント計画の横浜みなとみらい21が本格始動し、歴史的建造物や自然環境に配慮しつつ、高層ビルが立ち並ぶ先進的な街造りが行われた[25]。
特徴
異国情緒溢れる港町