横浜公園
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

太平洋戦争後はアメリカ合衆国により、公園内の「フライヤー体育館」(FAC3618、接収期間:1952年7月26日[14]-1953年11月12日[15])および「横浜チヤペルセンター」(FAC3672、接収期間:1952年7月26日[14]-1978年6月19日[16])が接収された。

横浜公園運動場(野球場)はGHQ接収期間中にルー・ゲーリック・メモリアル・スタジアムと改称され、接収解除後の1955年(昭和30年)に当時の平沼亮三横浜市長によって横浜公園平和野球場と改称された。以後、平和球場と通称され、プロ・アマ、大人・子供を問わない野球の親善交流試合が数多く行われた。

1953年(昭和28年)5月26日に条件つきで伊勢佐木町のアメリカ軍体育館フライヤージムの公園内移転が決まり[17]、同年12月20日にフライヤージム落成式が挙行され[17]、これを大改修して[18]1958年(昭和33年)12月23日に横浜公園体育館が敷地内に完成した[17]

1978年(昭和53年)、老朽化した平和球場や敷地内にあった神奈川県立武道館や横浜公園体育館などを取り壊して横浜スタジアムが建設され、また園内の老朽化した施設を更新して日本庭園や水場をあしらったモニュメント広場が整備された。公園内にあった神奈川県立武道館は岸根公園内(横浜市港北区)に移転した。横浜公園音楽堂も同時に取り壊されており、横浜スタジアムは野外音楽堂の代替施設も兼ねている。横浜公園のチューリップ

1997年平成9年)、チューリップが横浜市中区の区花に指定されたのを期に、市民の手によって公園内にチューリップが植えられ、春先は「チューリップの咲く公園」としても有名になった。さらに2017年(平成29年)の第33回全国都市緑化よこはまフェア(愛称:ガーデンネックレス横浜2017)ではみなとガーデン会場の一つとして、「16万本のチューリップガーデン」が目玉となっている[19]

2007年(平成19年)2月6日、文化財登録原簿(登録記念物)に登録され[20]2009年(平成21年)2月6日には近代化産業遺産に認定された。
主な施設

横浜スタジアム

日本庭園「彼我庭園」(前述の第33回全国都市緑化よこはまフェアの開催に合わせて再整備)[21]

水の広場

交通

JR根岸線関内駅徒歩5分

その他
日本郵便

郵便番号:231-0022
[4](集配局:横浜港郵便局[22]

事業所

2021年現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[23]

町丁事業所数従業員数
横浜公園13事業所304人

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移年事業者数
2016年(平成28年)[24]7
2021年(令和3年)[23]13

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移年従業員数
2016年(平成28年)[24]287
2021年(令和3年)[23]304


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:44 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef