横山裕の「裕」は芸名で、本名は「侯隆(きみたか)」であり[1]、当初は本名で活動していた[35]。嵐の相葉雅紀は横山のことをプライベートでは「きみちゃん」と呼んでいる[1]。芸名の名付け親は、所属事務所であるジャニーズ事務所の元社長・ジャニー喜多川であり[9][10]、本名の「侯隆」の漢字が読みづらいとの理由から、ジャニーの口癖である「You(ユー)」から「裕(ゆう)」となった[8][10]。しかし、ジャニー自身は横山のことを「ヨコ」と呼んでいた[8]。また、名字の「横山」は義父(実母の再婚相手)の姓である[36][37]。
2015年1月に放送された、自身がMCを務めた阪神淡路大震災20周年報道特別番組『キミに伝えたい』(読売テレビ)にて、自身も中学1年生の時に大阪市の実家で被災したことを明かした[38]。 3人兄弟の長男[39]。関ジャニ∞(後のSUPER EIGHT)でも最年長であり、実生活以外でも長男気質として慕われることが多く[40][41]、実際に、連続テレビ小説『舞いあがれ!』(NHK)で自身の妹役を演じた福原遥からはプライベートでも「お兄ちゃん」と呼ばれている[42][41]。 3歳で両親が離婚し、5歳で母親が再婚、義父とは折り合いが悪く、団地の2階上に住む祖父母宅で一時暮らしたが、小学5年生の時に祖父の体調が悪くなり、祖父母と両親(実母と義父)、6歳下と8歳下の異父弟を含め一家7人で暮らした[37]。中学3年生で芸能界に入り、23歳でCDデビュー後、母親が癌を発病し、それが原因となり義父と離婚[37][36]。横山が29歳の時に急逝した[39][43]。詳細は「#母親の急逝」を参照 母親も仕事を掛け持ちして働いていたが、「早く自立して2人の弟を養いたい」との思いから、自身も中学校を卒業後は実家を出て、芸能活動と並行して建設会社に就職していた[36][37]。このことから、ジャニーズJr.の仕事でテレビ局入りする際は、周りのほとんどが学校帰りの制服姿だったのに対し、横山は建設現場帰りのニッカポッカで通っていたため、スタッフから「流石にそれ(ニッカポッカ)はまずい。ジャニーズは夢を売る仕事であって、今までのジャニーズのセオリーでそれは無い」と注意されたという[44]。横山は建設現場でも他の作業員の足手纏いにならないよう一生懸命働いたため上司にも気に入られており、その後、芸能の仕事が忙しくなり、職場の建設会社に退職を願い出ると「芸能界でだめだったらいつでも戻ってこい」と温かく送り出されたという[44][16]。これに対して自身も「すごく安心しました。でも、戻ってきたらあかんという覚悟でジャニーズで頑張ろうと思った」と語っている[44]。なお、2015年には、関ジャニ∞の冠番組『関ジャニの仕分け∞』(テレビ朝日)の企画で、メンバーの大倉忠義と共に高等学校卒業程度認定試験に合格している[45][46]。 実母と義父の離婚後は、弟2人は児童養護施設に預けられたものの、「僕がしっかりしないと弟たちの将来がむちゃくちゃになる」「(弟)2人が独り立ちするまで支えなければ」との思いから、下の弟が大学進学を志望した時の学費は横山が出した[37]。その後、上の弟は苦難があったものの結婚し、下の弟は税理士という夢を叶えた[47]。 2010年5月16日、実母が虚血性心疾患により、50歳で急逝[39][43][48]。
家族
母親の急逝