横山裕
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自身には青森県でのソロライブ開演4時間前に訃報が伝えられ、大きなショックを受けたものの、ライブは予定通り開催した[39][48]。このことについて、事務所側にも「どうする?」と何度も聞かれたが「大丈夫だから」と言い、楽屋でも本番中も泣き崩れそうになったが「迷いはなかった」「僕が笑ってステージに立たないで家に帰ったら、そんなのオカンもイヤやろうな」と自身を奮い立たせ、ライブをやり切ったと語っている[48]。また、ツアーでは、母親との思い出を元に自身が作詞した楽曲「オニギシ」も披露しており[43][39]、当日は歌う前に「僕は家族が大好きです。親に感謝は忘れないでください。親がいることは当たり前ではないですから」と語っており、これは自身が母親に対して「ありがとう」という思いを伝えられないまま死別したため、そのことをとても悔やんでおり、「ファンの人には、そんな思いさせたくない」と考えたからである[48]。その後も公演スケジュールを予定通りにこなし、すすり泣く客席に「しんみりするなよ」と笑いかける場面もあった[49]

翌5月17日には、青森で関西テレビ関ジャニ∞のジャニ勉』のロケに参加する予定だったが、ロケは安田と丸山に任せ欠席し、母親の通夜に参列した[39]。18日の告別式には関ジャニ∞のメンバーも全員参列[39][50]。19日には大阪で『ジャニ勉』の収録から仕事復帰した[39]

母親の死に対して横山は「人生で一番泣いた。後にも先にもあんな辛い事は無い」と心境を語っている[50]

告別式に関ジャニ∞のメンバー全員が参列したことに対して、「めちゃくちゃ嬉しかった」「みんなが来てくれた事が凄い誇れた」と語っており、その葬式の帰りに丸山の家に集まり、様々なことを話す中で、大倉曰く「俺らはメンバーであり仲間やけど、これからは俺らが横山くんの家族にもならなあかん」と話し合ったという[50]

母親の死去により、上の弟の記憶に障害が生じた[47][51]。詳細は「#弟の記憶喪失」を参照

母親は亡くなる1週間ほど前に大阪城ホールでのソロライブを観に来て非常に喜んでいたそうで、横山は「会場には1万人以上のお客さんが入っていて、それをお母さんに見せてあげられたのは自分なりの親孝行ができたと思う」と語っている[16]
弟の記憶喪失

母親が亡くなった際に一番気丈に振る舞い、涙も流さなかった上の弟が、葬儀の2週間後に倒れ、記憶喪失に陥ってしまった[51][47]。弟は「病院の先生が、おかんが死んだって意味わからんこと言っている」と、母親の死にまつわる2年ほどの記憶が完全に抜け落ちてしまっていたという[47]

その後、自身と弟2人が生まれ育った大阪市に家を借り、弟を呼び寄せ、3人で共同生活を始めた[47]。これは、「狭い世界の中で凝り固まったら良くない。新しい世界を弟たちに見せてあげたい」と思ったからだといい、実際に様々な人に会わせたり、旅行に行ったり、自身が仕事であまり家にいることはできなかったが家に帰った時は弟と一緒にスーパーで食材の買い込みなどを行っていたという[47]

このような横山の試みが実を結び、弟の記憶は徐々に元に戻っていった[47]
音楽活動
トランペット

元々関ジャニ∞のバンドではパーカッションを担当していたが、スタッフから「何か(他に)楽器をやってみないか?」と言われ、最初はサックスを始めたいと思っていたが、メンバーの錦戸亮が既にプライベートでサックスを始めており[注 5]、他の管楽器を全て一通り試奏し、最終的に周囲のスタッフの薦めから、管楽器未経験ながら、2013年2月にトランペットを始めた[53][54]。なお、ジャニーズ事務所所属のアーティストがトランペッターになるのは初であり、管楽器専門雑誌『ブラストライブ』で後述のYOKANと共に表紙を飾った際には「ジャニーズ初! トランペッター誕生」と見出しが付けられた[55]

その後、関ジャニ∞とも親交の深いトランペッターのYOKANに師事[56]。初心者がやる練習から始め、初めは思うように音が出ないことに壁を感じたというが、「他のメンバーの(楽器の)レベルには程遠い」「みんなに追いつこう」という想いから必死に練習し、初披露までの約半年間はほぼ毎日YOKANやレコード会社のスタジオなどで練習を重ねた[56][57][54][28]。横山がトランペットを始めたのと同時期に、YOKANの指示で当時関ジャニ∞が所属していたレコード会社『テイチクエンタテインメント』の担当スタッフにもトランペットを購入させ、横山と一緒に練習させることで、「ライバルであり戦友」のような関係を築き上げた[56][54][注 6]。このことに対して横山も「(練習を)みんなでやれたのが救い」「1人では続けられなかったかも」と語っている[54]

同年11月8日、関ジャニ∞のライブツアー『関ジャニ∞ LIVE TOUR JUKE BOX』の初日である東京ドーム公演で、YOKANが横山のために制作したトランペットのソロ曲と「青春ノスタルジー」と「クラゲ」を演奏し、トランペットの演奏をサプライズで初披露した[57][53][28][58][59]


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