権力分立
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権力分立(けんりょくぶんりつ、(けんりょくぶんりゅう、三権分立、: separation of powers)は、権力が単一の機関に集中することによる権利の濫用[注 1]を抑止し、権力の区別・分離と各権力相互間の抑制・均衡を図ることで、人民の権利自由の確保を保障しようとするシステム[1][2]である。

なお、権力分立の典型例としては立法・行政・司法の三権分立(さんけんぶんりつ、(さんけんぶんりゅう)が挙げられるが[3]地方自治制などほかの政治制度にも権力分立原理はみられる[4][5]#概要を参照)。国家全体については、まず中央と地方とで権限分配がなされ(垂直的分立)、ついで中央・地方でそれぞれ水平的に分配されることになり(水平的分立)、中央では立法・行政・司法の三権に水平的に分配されていることになる[5]
概要

権力分立制の典型例として、国家権力をそれぞれ立法権行政権司法権に分割する三権分立がある[3]。但し国家権力そのものは単一不可分であり、それを分割することは国家そのものの分割を意味することになるため、権力分立とは国家権力そのものの分割を意味するのではなく、国家権力を現実に行使する機関における権限の分立を意味する[6]

権力分立は近代国家に共通の普遍的な憲法上の基本原理であり、1789年フランス人権宣言第16条は憲法には権利保障と権力分立が必要不可欠の要素であるとの考え方を明確にしている[7][8][9]。今日では多くの国の制度で採用されており、ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国日本などでも採用されている。日本においては、国家の立法権は国会、行政権は内閣、司法権は裁判所がそれぞれ行使している。

なお、中華民国台湾)では「五院分立」(行政院立法院司法院考試院監察院。つまり、三権の他に公務員採用と目付がそれぞれ分立)としている。
歴史「混合政体」、「ポリュビオス」、および「民主主義#ポリュビオス」も参照

権力分立の思想は歴史的に形成されてきたもので、時代や国によってその内容は異なる[10]。権力分立の源流をたどると、古代ギリシャにおけるプラトンアリストテレスポリュビオス等の混合政体論にまでさかのぼることができる[11]

近代的な権力分立の思想的淵源は、17世紀イギリスジェームズ・ハリントンジョン・ロックフランスシャルル・ド・モンテスキュー(『法の精神』)などによる政体論を端緒とする[12]
権力分立の基本原理

権力分立の基本的な要素は、第一に権力の区別分離、第二に権力相互の抑制均衡である[1]
権力の区別分離

権力の分離には権限の分離と人の分離が含まれ、前者は各権力は原則として他権力に干渉したり自らの権力を放棄することは許されないことを、後者は同一人物が異なる権力の構成員であることを排除するものである[13]
立法・行政・司法

モンテスキューは『法の精神』において、国家権力を立法権、万民法に関する事項の執行権(国家の行政権・執行権)、市民法に関する事項の執行権(司法権・裁判権)の三つに区別した[6]。この考え方は現代に至るまで受け継がれており、主要国家では一般的に国家権力を立法権行政権司法権の三権に分類している。それぞれ、立法権を立法府(議会)に、行政権を行政府(大統領あるいは内閣)に、司法権を司法府(裁判所)に担わせる。

これらの三権は、法との関係に着目して、簡単に次のように説明される。
立法権
法律を制定する権力。
行政権
法律を執行する権力。
司法権
憲法、並びに各種の法規で裁定する権力。

立法府は一般的抽象的な法規範を定立し、行政府は個別的かつ具体的な事件に法を適用・執行する。ここで「執行」と「適用」はもともと一体のものである点に注意を要する。行政権が法を執行する際には当然、法を「適用」しなければならず、司法府は法を適用して裁定するほか、自ら「執行」もする(司法行政)。そのため行政と司法の違いは、司法権が法を適用し「終局的に裁定する」ことをその顕著な違いと解すべきである。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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