アメリカとカナダでは、1883年11月18日に両国の鉄道会社によって標準時刻帯による鉄道時間が導入された。当時の新聞はこの日を「2つの正午をもつ日」と書いた。このとき、政府は時刻についての立法措置や決定を特に行わなかった。鉄道会社は5つの時刻帯を単純に採用し、市民もこれに従うものと考えた。鉄道経営者の組織であるアメリカ鉄道協会 (American Railway Association, ARA) は、時刻を標準化することに対して一般の科学的関心が高まりつつあることに気づいていた。そこでARAは、当時存在していたそれぞれの鉄道路線の境界に合わせて不規則な境界線をもつ独自の時刻帯を考案した。これは一部には、政府によって鉄道経営に不便な時刻帯が採用されてしまうのを前もって避けるためであったと考えられる。
多くの人々はこの新しい時刻「鉄道時間」を単純に受け入れたが、これには法的裏付けがまったくないとして拒否する市や郡も少なくなかった。法律に規定がないと、例えば契約書の満了期限として深夜 (midnight) と書かれていた場合、この深夜はいつを意味するのかといったことが問題になる。アイオワ州の最高裁判所で審理されたある裁判では、閉店時間の違反に問われたある酒場の経営者が自分は「鉄道時間」ではなく地方(太陽)時に基づいて営業していると主張して無罪となった例があった。その後も標準時は地域の問題となっていたが、1918年にサマータイムの導入の一部として標準時が法律で制定された。
1868年11月2日にはニュージーランドが全国で使われる標準時を公式に採用した。名称はニュージーランド平均時 (New Zealand Mean Time) 。おそらくこれが国内で単一の標準時を採用した最初の国であったと考えられる。ニュージーランドの標準時は東経172度30分の経度に基づくもので、グリニッジ平均時より11時間30分進んだ時刻となっている。
協定世界時詳細は「協定世界時」を参照
各地域の標準時は、グリニッジ平均時を基準として採用し、差を1時間もしくは30分単位に設定することが歴史的に多かった。
その後、現行の協定世界時 (UTC) が実施された翌年の、1973年にシドニーで開催された国際天文学連合 (IAU) 第15回総会において、すべての国の標準時の通報のための基礎として、グリニッジ平均時に代わってUTC を採用することが勧告された[2]。以降、協定世界時 (UTC) が、多くの国で法定常用時の基準となった。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 日本では本来の標準時のことを「地方標準時」と呼ぶことがある。これは日本ではグリニッジ平均時を「グリニッジ標準時」と訳すことが多いので、「標準時」という言葉の概念の混乱が起きやすいためと思われる。
^ 前身はグリニッジ平均時
出典^ 日本天文学会(編)「雑報 海上にて万国共通標準時採用の議
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