樋口真嗣
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東日本大震災の発生時には節電協力を求めるヤシマ作戦のロゴを公開し、pixivに「リンバンテイデン」というユーザー名で輪番停電に関する複数の画像も投稿した[9]

進撃の巨人』の批評に関してFacebook上の発言が元で炎上し、その後に謝罪した[10]

コロナ禍で外食できず、テイクアウトの弁当も冷めていたのをきっかけに料理を始め、洋菓子を家族に作ってはInstagramにアップするようになった[11]

学生時代から『ゴジラ』への参加まで

中学生時代、CMの仕事をしていた叔母について東宝スタジオを見学し、特撮現場に初めて触れた[12]。この時、案内を受けた特殊技術課課長の唐沢登喜麿からの紹介で特技監督の中野昭慶とも知り合った[12]。それから撮影現場を度々訪れるようになり、映画『連合艦隊』の撮影などを見学していた[12]

その後、高校3年生のころ、見学者という身分ながら『さよならジュピター』や『零戦燃ゆ』などで特撮現場の手伝いを行うようになる[12]。『さよならジュピター』で日本の特撮が変わっていくことを実感し、大学受験をせず撮影現場に通い詰めるようになったという[12]。『零戦燃ゆ』では、撮影後の飲み会で酔いつぶれ、特殊効果の久米攻の車で嘔吐してしまい、その詫びとして特殊効果部で1ヶ月間タダ働きすることになった[1][12]

ゴジラ』は、当初は『零戦燃ゆ』からのスライドで特殊効果部で作業していたが、正規のスタッフではないことが問題となりアルバイトとして雇われる運びとなったものの、前後して特撮研究所から研修のスタッフが入ることになったため[注釈 1]、樋口の雇用は流れてしまう[12]

その後、特殊美術課課長の青木利郎の計らいにより、美術の井上泰幸の助手として正式に雇用される[12]。当時、井上は特殊美術課で作業していたが、あくまで外部(アルファ企画)の人間であったため特美から助手をつけることはできず、正規のスタッフではなかった樋口が選ばれたという[12]。井上の下では、図面に基づいた紙の裁断や、セットの模型製作が主な仕事であった[12]。ビルの造型時に、対比用のゴジラを練り消しゴムで作り直したところ、その技術が認められて造型部へ参加することになる[12]。樋口は、異動に際し井上から謝礼として『惑星大戦争』のスペースファイターとヘルファイターのミニチュアを譲り受けたという[12]

造型部では、安丸信行の下、パートの女性らとともに発泡ウレタンの成形などを行い、ゴジラのスーツが完成した後は撮影の手伝いをしていた[12]。撮影後はミニチュア倉庫の整理に従事し、『ゴジラ』で使用したミニチュアを収納するため過去の作品で使用した造形物を多数処分しなければならなかった[12]。倉庫整理を終えたころには、特撮映画の製作が途切れていたため東宝を離れ、別作品への参加を経てガイナックスへ合流することとなる[12]
影響を受けた人物

庵野秀明との親交が深く、庵野からは「盟友」と呼ばれたこともある[13]。『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公・碇シンジの名前の由来であることも知られる[注釈 2]。経歴の節で述べたように『エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』など数作で共同制作も行っている。

小説家の福井晴敏とも深い交流がある。福井の著作『亡国のイージス』を読んだ樋口が感動し、福井に「第二次世界大戦」「潜水艦」「女」の3つのテーマを基にした作劇を依頼、その草案を基にした映画『ローレライ』を監督した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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