槇村さとる
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生誕 (1956-10-03) 1956年10月3日(67歳)[2]
日本東京都
活動期間1973年 -
ジャンル少女漫画女性漫画
公式サイト ⇒槇村さとる公式ページ 人生の穴
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槇村 さとる(まきむら さとる、1956年10月3日[2] - )は、日本漫画家[3]東京都[2]葛飾区西亀有町出身、血液型はB型[注 1]東京都立工芸高等学校工芸デザイン科卒業。女性[3]
ペンネームの由来は、漫画家デビュー当時に好きだった人の名前から[1]
来歴・人物

思春期に父親から性的虐待を受け、そのトラウマから逃れるために漫画を描き始める[4]。漫画家を志し最初に投稿し続けたのは『りぼん』だったが、浮気心から投稿先を変更し送付したら忽ち採用となり[1]1973年、高校1年で『別冊マーガレット』4月号(集英社)に掲載された「白い追憶」でデビュー[2][4]
1978年に同誌でフィギュアスケートを題材にした『愛のアランフェス』を連載。1980年代には、ジャズダンスを題材にした『ダンシング・ゼネレーション』、アイスダンスを題材にした『白のファルーカ』などを発表して活躍。

高校卒業後、メーカーに就職したが、漫画の原稿料が給料を上回ったので退職し専業作家になる[4]1990年代には『ヤングユー』(集英社)など、大人の女性向け漫画誌に活動の舞台を移す。他に代表作として、テレビドラマ化された『イマジン』『おいしい関係』『Real Clothes』など。

父親から受けた虐待のトラウマを35歳で克服し、その経験を綴った自伝的エッセイ『イマジンノート』を2002年に出版[4]。選択的夫婦別姓制度導入がなされないため、42歳で性人類学者のキム・ミョンガン事実婚愛知淑徳大学にて非常勤講師として年1回教鞭をとっている。

2024年春に画業50周年を迎え、東京・弥生美術館にて2024年1月より3月31日まで『デビュー50周年記念 槇村さとる展』を開催[5]

編集委員会の委員長を石ノ森章太郎が務めた「日本漫画家名鑑500」にて、『白のファルーカ』・『ダンシング・ゼネレーション』・『まみあな四重奏団』・『愛のアランフェス』の4作品の書影を代表作として掲載している(1992年時点[1])。
作品リスト
書籍

マーガレットコミックスから刊行されたものより、集英社にて順次漫画文庫化が進んでいる。
マーガレットコミックス集英社


放課後(1977年5月20日)

ディスコ・ベイビー(1978年1月20日)

青春志願(1978年6月20日)

氷のミラージュ(1979年2月20日)

愛のアランフェス(1979年6月30日 - 1980年11月、全7巻)

クリスタル・レイン(『氷のミラージュ』収録)

青春志願-明日のヒーロー(1981年5月)

鏡の中のアリス(1982年1月30日)

ダンシング・ゼネレーション(1982年3月30日 - 1982年11月30日、全4巻)

N★Yバード(1983年 - 1984年、全3巻) ※『ダンシング・ゼネレーション』の続編的コミック。

スキャンダル8 1/2(1984年6月)

フット・ステップ(1985年)

ダイヤモンド・パラダイス(1984年11月 - 1985年4月、全3巻)

しなやかに夜は踊る(1986年)

半熟革命(1986年、全3巻)

ベルベット・アーミー(1987年、全2巻)

白のファルーカ(1987年 - 1989年、全8巻)

NGダンディー・OKレディー(1988年)

まみあな四重奏団(1988年 - 1989年)

ピーナッツ戦線(1989年)

勝手にしやがれ(1990年)

赤とうがらし物語(1990年)

コクーン荘1x1(1991年)

シンパシー-失われたささやき(1991年)

ラブ・ストーリー19XX(1991年)

ダブルヴィジョン(1992年)

クレヨンの王様(1992年)

フェイク(1992年)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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