榎本温子
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えのもと あつこ
榎本 温子
榎本温子 (@atsuko_bewe) - X(旧Twitter)より(2019年2月)
プロフィール
愛称あっちゃん[1]
性別女性
出身地 日本東京都[2]
生年月日 (1979-11-01) 1979年11月1日(44歳)
血液型A型[2]
身長155 cm[3]
職業声優ナレーター[4]歌手ラジオパーソナリティ
事務所フリー
配偶者石井マーク2016年 - 2018年

声優活動
活動期間1998年 -
ジャンルアニメゲーム吹き替えラジオナレーション
デビュー作宮沢雪野(『彼氏彼女の事情』)アニメデビュー[5]
音楽活動
活動期間2001年 -
ジャンルJ-POPアニメソング
職種歌手
レーベルavex mode(2001年)
purple hills record(2004年)
ユーキャン(2007年)
共同作業者外道乙女隊桃井はるこ
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

榎本 温子(えのもと あつこ、1979年11月1日[1][6] - )は、日本女性声優ナレーター[4]歌手ラジオパーソナリティフリー

榎本温子
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チャンネル

榎本温子Official【声優 ナレーター】

活動期間2019年 -
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来歴

子供の頃からアニメが好きであり、『ドラゴンボール』、『幽☆遊☆白書』、『らんま1/2』などを観ていた[7]。小学、中学時代の頃には、職業としての声優があることを知り、当時は最初のアニラジブームであり、アニラジ番組『ラジメーションMOONWAVE・ぼくの地球を守って』、『ここはグリーンウッド放送局』などの番組を聴いていた[7]。その頃、声優がアニメの出演だけではなく、歌手としてCDをリリースしたり、ラジオのパーソナリティをしていることを見て、「そういうこともできる仕事なんだ」と中学生の時には漠然と声優を目指そうと思っていたという[7]

高校生になってからも、その気持ちは変わらず、一般公募の「特待生新人オーディション」を見つけて、「これに応募して受かったら声優を目指そう。受からなかったら目指すのはやめよう」、「これで受からないぐらいなら残っていけないだろうな」と思ったという[7]

最初に受けたのは高校1年生の時で、3000人くらい受けて最終まで残り、最終は20人ぐらいだったが、落選[7]。その時に「ああ、こういう感じの人が受かるんだ」と思い、その後、再び勉強し、翌年、受けて、最終までは残ったが、落選[7]

「その事務所が別の新しい事務所を作るので、そこに入りませんか?」というお便りをもらい[7]、高校生(吉祥女子中学校・高等学校[8]時代にオーディションを受け、アイムエンタープライズに所属。オーディションは親に内緒で受けていたため、事務所所属時に初めて親を説得していた[7]。その時のレッスン費が月に5000円くらい必要だったが、「それは自分でアルバイトをして払うので、通わせてください」と言っていた[7]。芸能関係の仕事だったことから「大丈夫なの? だまされていない?」と心配されていたという[7]。色々話して、高校卒業後、大学進学を条件に許してくれたという[7]

高校3年生の1月に文化放送のラジオ番組のオーディションと、ゲーム『etude prologue ?揺れ動く心のかたち?』のオーディションを同時に合格して、ゲームの制作発表の記者会見に出席し、デビュー[7]。当時は記者会見はうれしかったが、何をしていたら正解なのかもわからず、戸惑いの連続だった[7]。その翌週ぐらいにラジオ『超機動放送アニゲマスター』のゲスト出演で、「オーディションに受かりました。4月から5分番組を始めます」のような報告をしていた[7]。その時、庵野秀明がゲストで、テレビアニメ新世紀エヴァンゲリオン』が好きだったことから「あ、庵野さんだー!」のような感じだった[7]。その半年後に『彼氏彼女の事情』で庵野にお世話になるわけなため、2017年時点では何か不思議な縁を感じているという[7]

その4月から放送された『超機動放送アニゲマスター』の5分番組で初めてのレギュラー番組に出演[7]

1998年、『彼氏彼女の事情』の主人公・宮沢雪野役[注 1]でアニメデビュー[5]

大学に進学していたが、その後仕事が忙しくなり、2学期までしか行けずに休学したという[7]

2001年、主演を務めたアニメ『機動天使エンジェリックレイヤー』の主題歌『Be My Angel』でCDデビュー。

2005年9月、アイムエンタープライズから81プロデュースへと移籍。


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