この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。
出典検索?: "榊原郁恵"
さかきばら いくえ
榊?原 郁恵
駒沢オリンピック公園総合運動場体育館にて2020年1月30日に撮影
本名渡辺 郁恵 (旧姓・榊原)
(わたなべ いくえ)
生年月日 (1959-05-08) 1959年5月8日(65歳)
出生地 日本・神奈川県川崎市
身長155cm[1]
血液型B型
ジャンルタレント、女優、歌手
活動期間1976年 -
配偶者渡辺徹(1987年 - 2022年、死別)
著名な家族渡辺裕太(長男)
事務所ホリプロ
主な作品
ミュージカル『ピーター・パン』
『ナッキーはつむじ風』
『風の中のあいつ』
『わくわく動物ランド』
『機界戦隊ゼンカイジャー』
受賞
第19回日本レコード大賞(優秀新人賞)
第4回日本テレビ音楽祭(金の鳩賞)
第19回ゴールデン・アロー賞(大賞・演劇賞)
テンプレートを表示
榊?原 郁恵(さかきばら いくえ、1959年〈昭和34年〉5月8日[2] - )は、日本のタレント、女優、歌手、司会者、元アイドル。榊?原は旧姓で、現在の本名は渡辺 郁恵(わたなべ いくえ)。身長155cm[1]。スリーサイズはB85・W63・H88。 神奈川県出身[2]。川崎市にて出生後、3歳の時に厚木市に引っ越す[3][4]。厚木市立厚木第二小学校[3]、厚木市立厚木中学校[3]、神奈川県立厚木東高校[5]を経て堀越高等学校卒業。ホリプロ所属。夫は、俳優の渡辺徹。2男の母でもあり、長男は俳優の渡辺裕太。 ホリプロ公式ページによると、榊原の「榊」は木へんに神(榊?)と書くのが正しい。 4歳年上の姉がいる[6]。姉が子供のころに児童劇団に入っており、自分も児童劇団に入りたいと葉書で申し込んだが、その審査日が家族旅行の日と重なったために相談したところ、母や姉から叱られて断念したということがあった[7]。 中学時代はテニス部[8]、厚木東高校時代は人形浄瑠璃部に所属していた[5]。父は中日新聞社の社員だった[9]。 高校2年の時に、ホリプロが主催する「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で優勝[10](審査員特別賞は荒木由美子) 。芸能界入りを機に上京し、芸能活動コースがあった堀越高等学校へ転校している。歌手デビューは翌年の1977年(昭和52年)1月1日だが、CMや映画への出演は1976年(昭和51年)からである。決勝大会などでのサブタイトルに「1億円のスター」とあったことから、デビュー時のキャッチフレーズが「1億円のシンデレラ」となった[11]。デビューに当たって芸名を考えることになり、『月刊明星』(集英社)誌上でも芸名の公募が行われた。そこで、榊?原の榊?が読みにくいからと「原 郁恵」(はら いくえ)、郁恵の郁も読みにくそうだからと「原 恵」(はら めぐみ)、厚木出身だから「厚木 郁恵」などといった名前も候補に挙がったが、結局ピンとくるものが無く、「読みにくい名前だが、一度覚えたら忘れないだろう」という意見でまとまり、本名のままで活動することになった[12]。 同期デビューの女性人気歌手だった高田みづえ、清水由貴子と共に当時「フレッシュ三人娘」と言われた。共に最も仲が良かった歌手仲間の2人だが、新人賞を争うライバル関係でもあった。 デビュー以降、アイドルとして『ナッキーはつむじ風』をはじめ、数多くのドラマやCMで人気を集める。『明星』『平凡』『近代映画』などの表紙をたびたび飾り、またタレント歴代5位となるプロマイド月間売上1位獲得17回という実績を持つ。1970年代後半にはミッキーマウスの吹き替えの声優にキャスティングされ、ディズニーの特番にレギュラー出演。前述の「ナッキー?」はシリーズ2作品で2年間、同じくTBS系の木曜19時台バラエティドラマ枠5作品で2年半、連続して主演を務めている。
来歴・人物