楽譜
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音部記号は変化記号はなく、音域は数字で表され、黒鍵の音にはそれぞれに独立した名称がついている。また、「楽譜表示具及び楽譜」の発明として日本及び世界で特許が認められている。[注釈 1]
日本
工尺譜

博士(声明
西洋のネウマ譜に相当する。
文化譜(三味線)

弦名譜(箏)
三味線の楽譜は、一般に、楽器の演奏の仕方を書き記したタブラチュアに分類される楽譜で書かれる。名や勘所名、奏法口三味線などの唱歌(しょうが)によって示される。極簡単な例は例えば篠笛#楽譜参照。
尺八の楽譜

楽譜の歴史
古代古代ギリシャの楽譜

文字譜とは古代ギリシアで用いられた記譜法。歌詞の上に音高を文字で記す。オクシリンコス・パピルスに現存する最古(紀元280年)のキリスト教東方諸教会)の聖歌とされる『三位一体の聖歌』(オクシリンコスの賛歌)がギリシア記譜法で記されていた。紀元前3世紀ごろの石版にアポロンへの讃歌が刻まれており、讃歌の詩行間に文字があり楽譜を意味するといわれている。紀元後3世紀ごろにアリュピオスがこれらの文字を一覧表にし古典ギリシアの記譜法を書き残している。
中世ネウマ譜

9世紀頃、ネウマ譜による最古の聖歌集が現れた。これはキリスト教ローマ典礼で用いられるグレゴリオ聖歌のためのもので、最初は左から右に曲線と直線のみで音の長さと高さを表していたが、次に基準となる音程の位置を水平の線1本で標記する様になり、更に、それが4本、5本となり現代の楽譜と同じ形式になった。ちなみに現代のカトリック教会で使用されるネウマ譜は音の高さを表す線が4本のものである。

1025年頃、グイード・ダレッツォが4本の線の上に四角い音符を書くという、現在の楽譜の表記法の原型を考案した。
近代ジョスカン・デ・プレ『Adieu mes amours』。Harmonice Musices Odhecatonより。1501年、オッタヴィアーノ・ペトルーシによる印刷

機械で印刷された楽譜が初めて登場したのは1473年のことで、これはヨハン・グーテンベルクによる活版印刷技術の開発から20年後にあたる。1501年にオッタヴィアーノ・ペトルーシが、おもにジョスカン・デ・プレハインリヒ・イザークの曲、96曲を印刷して収録した Harmonice musices odhecaton を発行した。ペトルーシの印刷技法による楽譜はきれいで読みやすかったが、楽譜が出来るまでに五線、文字、音符の順に3度の印刷が必要となり、時間も手間もかかる作業だった。1520年頃のロンドンで、楽譜の印刷が1度の印刷でできるようになり、1528年にフランスのピエール・アテニャンはこの技術を広めた。

1575年エリザベス1世がトーマス・タリスとウィリアム・バードに楽譜の独占印刷権を与えた。1596年にその期限が切れると、独占権はトーマス・モーリーに渡った。楽譜の線が5本に落ち着いたのは、17世紀に入ってからで、それまで教会の聖歌隊は、音域が1オクターブなので4本。音域が広い鍵盤楽器は6本。ときには7?8本にもなっていたが、イタリアのオペラ界で音楽による楽譜の違いを統一し煩雑さを無くそうとする動きが出てからである。5本という数は人間が判別し、かつ、さまざまな音楽を表記するには最も適した数だった。オペラ先進国のイタリアから世界に5線譜が広まった。

19世紀には、音楽産業は楽譜印刷業界が担っていた。当時アメリカではティン・パン・アレーがその中心となっていた。20世紀に入ると蓄音機と録音した音楽に比重が移り、その動きを1920年代のラジオ放送開始が加速し、楽譜の出版は飽和を迎えた。そして次第に音楽産業は印刷業者からレコード業界へと移っていった。
現代

20世紀後半から21世紀にかけては、楽譜をコンピュータで読み書きできる形にする技術の開発が盛んに行われ、いくつものシステムが開発された。その意味で、音楽データのデジタル転送規格であるMIDIを利用した記録方式であるStandard MIDI File等も楽譜の系列に連なるものである。

主にクラシック音楽を中心とした、著作権が切れてパブリックドメインとなった楽譜のライブラリをインターネット上に作る活動がある。

従来、出版用の楽譜の作成は専門の写譜屋が手作業で行っていたが、コンピューターの普及した現在はそのような作業を行う楽譜作成ソフトウェアもさまざまなものが発売され、専門の業者から個人まで、その利用者は多い。
楽語・標語

その昔西洋において、学術の世界ではラテン語が公用語として用いられてきたように、旧来の西洋音楽においては、楽譜上に記す言語はイタリア語が公用語と規定されてきた。しかしながら、西洋音楽イタリア優勢ではなくなり、楽譜中はイタリア語で、題名だけはドイツ語であったり、歌詞だけは英語であったり、多言語が氾濫するようになっていった。

また、作曲家が自分の母国語で楽語イタリア語に混在させることが多くなり、それがベートーヴェンに見られ、シューマンにおいてはもっと顕著になり、後の印象主義の時代には、作曲家が国柄をポリシーとして自負することも兼ねて母国語を楽語に使うことが普通のこととなり、古くからの一部の基本的な楽語イタリア語のままに存続しているものの、現在は多言語が混在したスタイルが定着している。

日本の作曲家の場合には、フランス音楽の影響を受けた作曲家はフランス語傾倒で、ドイツ音楽の影響を受けた作曲家はドイツ語傾倒で、どの影響を受けたことも表明したくない作曲家や中立を表明したい作曲家は英語傾倒若しくはイタリア語で書き込むことが多い。どの場合も、イタリア語による基本的な楽語に各国語を混合させて書き込むが、作曲家が日本語を書き込むことは、国際的な楽譜読解の壁を避けるためにも敬遠され、基本的に教育目的の楽譜などに限られる。
パブリックドメインの楽譜

以下に挙げるサイトではパブリックドメインもしくは自由なライセンスの楽譜を入手可能である。著作権保護されているものについては利用に際してはライセンスに基づいた使用条件を守ることが求められる。

Mutopiaプロジェクト

プロジェクト・グーテンベルク

IMSLP --国際楽譜ライブラリープロジェクト 収録楽曲数6万以上、楽譜総数20万以上。

新モーツァルト全集・デジタル版 --新モーツァルト全集の総譜すべてが網羅されており、PDFとして入手できる。日本語に対応している。

Choral Public Domain Library (CPDL) 合唱曲の図書館

SheetMusicFox

Free-scores.com

Piano Sheet Music Online

Musopen Public Domain Sheet Music

Art Song Central

主な楽譜の出版社
日本国内

ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングスヤマハミュージックメディアを吸収)

シンコーミュージック・エンタテイメント

ドレミ楽譜出版社

kmp

フェアリー

バンダイナムコアーツ(楽譜ブランド「L SCORE(えるすこ)」)

合唱・唱歌・クラシック音楽など


音楽之友社

全音楽譜出版社

カワイ出版


教育芸術社

NHK出版


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