極悪非道
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これは、被害者が純粋悪の神話の影響を受けていることが考えられる。3番目の特徴も現実ではほとんど見られるものではない。実際の多くの殺人事件では、加害者と被害者がお互いに挑発しあって、それがエスカレートしていくことで、殺人が生じる場合は多く見られる。もちろん、善良で潔白な人に対して無差別の暴力は確かに生じてはいるが、それは私達がマスコミから得る情報から考えているよりは稀である。4番目の特徴は、私達のような人がひどい犯罪を犯すとは考えたくないという欲求が反映されている。具体的にはナチスの医者はまっとうな人間とは思われておらず[9]、また、戦争中の日米双方で相手側は劣等人種とみなしていたために、相手を悪魔化することが助長されたという分析もある[10]。さらに子供向けの漫画の悪人は基本的に外国語なまりの英語で喋る[11]。5番目の特徴は、現実では多く見られるものではなく例外の可能性が高い。映画でも時間の経過とともに悪くなっていった人は見られず、最初から悪人であるとされる。また、現実でもスターリンヒトラーポルポトといった人物に対しても、私たちは「そういったひどく邪悪な人間がどうやってそんな大きな権力を手に入れたのか」と考えるが、「どんな経験によって彼らは悪人になってしまったのか」とは考えない。6番目の特徴は、1番目の特徴と代替的なもので、悪とは混沌であり平和や調和、そして安定を喪失させたり妨害するものであるというものである。7番目と8番目の特徴は今までの特徴とは異なり、現実では確かにその傾向が見られて真実に近いが、過度に強調されているという。
悪の根本原因

多くの研究が統合されると、悪には4つ(正確には3つ半)の基本的な原因が挙げられる[8]。それらは道具性、自己中心性に対する脅威、理想主義、サディズムであり、被害者の立場からだといくつか違いが見られる。前者2つに関しては、お金を渡したり悪人の自尊心を満たせば暴力などを回避することができるが、理想主義の場合は打つ手が少なく、サディストが相手の場合はどうしようもない。
道具性

邪悪な行いの多くは悪いことそれ自体を目的としたものではなく、他の目的(金、土地、権力、セックス)を達成するための単なる手段としてなされている。この目的を達成するにあたって合法的な手段で達成することが出来ないときに、人は暴力を行う。例えば、テロリストは自身の要求が投票法制度を通じて実現することはないとわかっているのでテロを行い、知識社会では知能が低い人は金や他の報酬を手に入れる方法が限られており、悪行に手を染める。暴力に関する研究者は、暴力的な手段は長期的な目標達成には有効でないことを論じてきたが、短期的な観点では暴力は確かに効果的なものである。

道具性の暴力は、進化前の段階の名残として考えられる[12]。人間を含む社会的な動物では資源分配をめぐる社会的衝突が生じ、支配的で攻撃的な個体であるアルファオスが多くの報酬を得ることができる。そのため、種内攻撃は社会生活に対する適応として生じた可能性がある。しかし、人間は文化を発展させて、争いや紛争を解決する代替の非暴力的な手段(お金、法廷交渉妥協投票)を生み出してきた。最近の調査でも長期的には対人暴力の発生は減少している。ただし、時に私達は攻撃性に後退してしまい、特に文化的な方策が自分にはきちんと機能していないと感じる人の間で攻撃性は生じやすいとされる。
自己中心性に対する脅威

かつて暴力の研究においては、悪人は自尊心が低いというのが標準的な知見であったが、バウマイスターが実際に文献をチェックしてみると、悪人はむしろ高い自尊心、時には過度に高い自尊心を持っていた[13]。後の研究でも自尊心の低さと攻撃が結びつくことは確認されず、逆にナルシストがより暴力的であるという結果が度々得られた[14]。ナルシズムと自尊心を分離した場合でも、自尊心の影響は無視できるか、もしくは自尊心はナルシズムの効果を高めて攻撃性に寄与していた。

しかし、後の研究からわかったことは、高い自尊心が暴力を生じさせるのはなく、自身の持つ高い自己像が脅威にさらされたり傷ついた時に暴力が生じることがわかった。つまり、他人からの批判に対して反抗して、自尊心の損失を回避するための戦略として攻撃が行われる。このことは進化的な起源を持つと考えられ、実際にアルファオスでは挑戦者を攻撃することで自身の地位を守っている。
理想主義

理想主義はいくつかの点で他の根本原因とは異なる。まず挙げられるのは、加害者たちは「自分たちは良いことをしている」という信念に基づいていることである。実際に左翼右翼の理想主義者たちは、自身が高貴な目標を持ち、それによって暴力的な手段が正当化されるとしばしば信じていた。具体的な例では、中国やソ連による共産主義の虐殺やナチスドイツによるホロコーストなどが挙げられる。また、理想主義は他の根本原因を隠すことに用いられることもある。
サディズム

悪の根本原因が3つ半である理由は、サディズムであるためである。悪人がサディストであるというのは前述した純粋悪の神話であるが、実際にサディズムだとみなされるものがいくつか見られる。殺人犯の回顧録には殺人によって喜びを得たとする記述はほとんど見られないが、一部の人は実際に人を傷つけることを楽しんでいる。

これは、相反過程理論によって説明される[15]。通常、人を傷つけると最初は動揺して強い否定的な反応を起こすが、身体は平衡状態を保とうとして反動として第二の過程を作動させる。この過程は、最初は弱くて遅いが繰り返し強度が増していき、支配的になってくる。バンジージャンプスカイダイビングを楽しむようになる理由もこれのことで説明される。また、科学的な厳密な研究ではないが、拷問に関する研究がこの理論を支持している。拷問では相手を殺してしまうことで拷問が失敗する場合があるが、それは新人の拷問人よりもベテランの拷問人の方が相手を殺しやすい。これは相反過程理論と一致していて、拷問を行うことによる苦痛が減っていき、満足の方がそれを上回ってくるものがいると考えられている。

また、サディズムはサイコパスと関連していることが考えられる。サイコパスは共感性がないため、他者の苦痛に対して共感による抑制が効かないことが考えられる。[要出典]ただし、共感性が「皆無」であるということはまれであり、またスペクトラムなグラデーションであること、精神医学的な厳密な診断があるのか、印象からくる単なる決めつけに過ぎないのかには注意が必要である。
至近原因

悪に関する研究において、暴力を誘発させるような要因はありふれていることがわかっている。社会心理学者によれば、批判されること、侮辱されること、気温が高いこと、メディアで暴力を見ること、欲求不満であることなどが、人の攻撃性を増加させることがわかっている[16][17]。翻って実際の暴力の発生率は驚くほど低く、それは自制心によるものだと考えられている。人は色々なことによって攻撃的な衝動を発生させるが、それに対して自制心を用いることで衝動を抑制させている。また人間には少なくとも他の社会的動物以上の自制心の能力を持っている。

以上のことから、多くの場合で悪や暴力の至近原因は、自制心の破綻である。具体的には、アルコールはほとんどの領域で自制心に干渉し[18]、攻撃の原因として十分に確立されている[19]。また激しい感情は暴力的な衝動の抑制を損ない、メディアの暴力は同様に自制心を弱めることによって攻撃性を高める。

バウマイスターの見解では悪の4つの根本原因を排除するのは困難であるので、至近原因の自制心の強化が現実的なものであるという[8]
中国の倫理哲学

後述する仏教と同様に、儒教道教には西洋思想にみられるような善悪の対立構造がないが、中国の民間信仰では何か悪い物の影響についてよく言及される。儒教の主要な関心事は知識人や貴人にふさわしい正しい社会的関係・行動にあった。それゆえ「悪」という概念は悪い行動ということになる。道教では、二元論がその中心に据えられているにもかかわらず、道教の中心的な徳に対立する思いやり、節度、謙虚は道教において悪の相似物だと推測できる[20][21]
西洋哲学
ニーチェ

フリードリヒ・ニーチェはユダヤ-キリスト教的道徳を否定し、『善悪の彼岸』・『道徳の系譜』の中で、非-善の本来の機能は弱者の奴隷道徳によって宗教的な悪の概念へと社会的に変容され、主人(強者)に反感を抱く大衆を抑圧した、といったことを主張した。
アイン・ランド

アイン・ランドは『利己主義という気概---エゴイズムを積極的に肯定する』で、「理性は人間の基本的な生存手段だから、理性的存在が生きるのに適したものが善い物である。逆に理性的存在が生きるのを否定・妨害・破壊するものが悪いものである」と書いている。この考えは『肩をすくめるアトラス』の中でさらに練り上げられており、「考えることは人間の唯一の基本的な美徳である。他の全ての徳は考えることから生まれてくる。そして、人間の持つ基本的な悪徳、つまり全ての悪の根源は人が皆実際にはやっているのにやっているとけっして認めようとしない名もなき行為、つまり自分の意識を故意に停止すること、考えるまでもなく盲目であることは否定するが実際には見ようとしないことだ。つまり、単純に無知なのではなく知ることを拒んでいるのだ。これは自分の心に焦点を当てるのを避け、自分があるものを認識するのを拒んでいる限りそれは存在しないとか、自分が『それは悪い』という評決を下さない限りAはAでないといった暗黙の前提に基づいた判断を避ける心の中の霧を引き起こす行為だ。」とある。
スピノザ

バールーフ・デ・スピノザはこう言った:

「1. 善によって、人々にとって有用であると人々が当然知っているものを私が理解できるようになる。
2. 反対に悪によって、人々が善いものを持とうとするのを妨げると人々が当然知っているものを私は理解する[22]。」

スピノザは半ば数学的な文体を使い、『エチカ』第4部で述べた定義から証明・説明できると自分が主張しているさらなる命題について述べている[22]:


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