また経済的側面と社会的側面の両方に関連する「左翼」は、社会主義や共産主義と無政府主義の両方の側面を持っており、代表例には集産主義的無政府主義やアナルコサンディカリスムなどがある。その「極左」とは、これらの中で特に急進的な思想のことである。
フランスの『極左の辞典』(Serge Cosseron編)は、「極左」を「共産党の左に位置している全ての運動」と定義している[5]。
なお思想上の急進主義ではなく、行動上の暴力主義は通常「過激派」と呼ばれる。極左の暴力主義集団は日本では通常、マスコミでは「(左翼、極左)過激派」、警察では「極左暴力集団」、日本共産党の独自用語では「ニセ「左翼」暴力集団」と呼ばれる。
歴史「社会主義#歴史」、「共産主義#歴史」、「アナキズム#歴史」、および「新左翼」も参照
近代における市民社会確立の契機となった市民革命は、しばしば武力を伴う暴力革命であった。その代表的な存在であるフランス革命では、急進的な共和派が国民議会の議長席から見て左側に陣取ったため、これが左翼の語源となった。フランス革命においては、革命の進行に伴って、共和派の中でもさらに急進的なジャコバン派が独裁政治を開始し、反対派を多数処刑する恐怖政治を行った。ジャコバン派の別称は、当時は議場においては後方の高い位置に陣取っていたことから「山岳派」となっていた。
1960年代から1970年代にかけて、ベトナム戦争に対する反戦運動や非同盟諸国の解放・民族自決権運動、冷戦下の西側各国における学生運動の盛り上がりなどを背景として、パレスチナ解放人民戦線 (PFLP) 、フランスの直接行動グループ、西ドイツの赤軍派、イタリアの赤い旅団、日本の日本赤軍などが国際的にテロを行う有名な極左集団として台頭した。彼らは革命や民族解放を標榜してテロやハイジャックを頻繁に行ったが、これらの大半は過激な犯罪行為によりテロリストや過激派として政府当局から弾圧され、また日本においては党派間の路線対立による内ゲバの激化による支持層やシンパの離反を招いたため、暴力革命・政府転覆という目標は達成されなかった。
ソビエト連邦崩壊による冷戦終結とともに極左勢力の退潮は決定的となった。ただし従来よりソ連型社会主義をスターリニズムであり真の社会主義では無いと批判している新左翼各派は、ソ連崩壊は当然としている。
近年では、先進国においては、爆弾テロや殺人(暗殺)といった非合法的暴力から、デモや抗議、プロパガンダといった合法的手段への転換を標榜する傾向にあり、主に市民派のグループを名乗って合法的な選挙によって議員を確保していることもしばしばある。また、ブント(現・アクティオ・ネットワーク)のように活動手段の転換を基礎付ける形で、マルクス主義などの階級闘争史観を有する綱領を放棄するなど、政治目標においても路線転換を図った組織もある。しかし、中には、デモ行動中に暴徒化し破壊活動に走る場合もあり、それを意図してデモ参加者を扇動する党派も存在している。
発展途上国で活発な活動を行なっているのはペルーのセンデロ・ルミノソなどがある。
しかし、例えば極左に所属するフランス政党、トロツキー主義に基づいた反資本主義新党や労働者の闘争党などはテロに反対し、トロツキー自身もテロという戦略が誤っていると主張した。極左フランスのアナキズム組織も、例えばオルターナティヴ・リバタリアンはテロに反対する立場である。フランス極左組織や政党などは、テロによって当然民衆が支持しなくなり、テロを行っても資本主義の体制にインパクトがほとんどないと唱え、テロに反対し、ゼネストを支持している。
日本については、学生運動が多発した時代から下って安定成長期、バブル景気といった時代を経て、国民の多くは経済的に有史以来の豊かさを手に入れたため、極左勢力の支持はほとんどなくなっていた。ところが、21世紀に入って以降の格差社会・貧困層の拡大と東日本大震災での原発事故を受けた社会不安の拡大は、極左勢力の若干の復調を生み出している[6]。日本の極左過激派勢力は原発事故を機に本来の組織名や党派性を隠して積極的にオルグを進めているとされる[7]。具体的な情勢では、2014年現在、中核派や革労協が活動家の数を減らしている一方で、革マル派が勢力を拡大しているという情報がある[8]。