楚山郡(チョサンぐん、そざんぐん[2])は、朝鮮民主主義人民共和国慈江道に位置する郡。中華人民共和国との国境地帯にある。 楚山郡の南側には江南山脈
位置
国道第3番線の終点区間が楚山郡に位置している。 気候は大陸性気候であり、夏は暑く、冬は寒い。北朝鮮の最高気温に記録された41゜Cは1961年7月に楚山郡で記録された。 日本統治下までは 平安北道に属していたが1949年に行政区域改編で慈江道が新設され、編入された。 朝鮮戦争中の1950年10月26日に大韓民国国軍が北進し、楚山郡にまで至ったが、まもなく中国人民志願軍の参戦で後退した。 1999年にはこの地域で高句麗古墳群が発掘された。 この節の出典[3] 概して山間地域が多くて畑作をしている。養蜂も主要産業の一つである。全体面積の76.1%が森林地帯で、丸太生産もしている。 現在楚山郡には1邑と18里がある。 古豊郡 | 東新郡 | 狼林郡 | 龍林郡 | 城干郡 | 松源郡 | 時中郡 | 慈城郡 | 長江郡 | 前川郡 | 中江郡 | 楚山郡
気候
歴史
年表
1914年4月1日 - 郡面併合により、平安北道楚山郡に以下の面が成立。(11面)
郡面・東面・西面・城面・南面・古面・豊面・板面・松面・江面・桃源面
1918年 - 郡面が楚山面に改称。(11面)
1939年 - 西面・城面が合併し、城西面が発足。(10面)
1940年 - 城西面の一部が楚山面に編入。(10面)
1945年(光復直後) - 城西面が楚山面、碧潼郡吾北面・?時面に分割編入。(9面)
1949年1月 - 平安北道の分割により、慈江道楚山郡となる。(9面)
1952年12月 - 郡面里統廃合により、慈江道楚山郡南面・楚山面・東面、渭原郡西泰面の一部地域をもって、楚山郡を設置。楚山郡に以下の邑・里が成立。(1邑20里)
楚山邑・央土里・雲坪里・水砧里・瓦仁里・直里・蓮舞里・龍上里・安賛里・亀龍里・新楊松里・花薪里・化建里・蓮豊里・梨山里・新倉里・亀坪里・下倉里・忠上里・松廟里・章吐里
1954年10月 - 下倉里の一部が?時郡?時邑に編入。(1邑20里)
1961年 (1邑18里)
新倉里が古豊郡に編入。
下倉里が?時郡に編入。
産業
行政区域
楚山邑(チョサヌプ)
央土里(アントリ)
雲坪里(ウンピョンニ)
水砧里(スチムニ)
瓦仁里(ワインニ)
直里(チンニ)
蓮舞里(リョンムリ)
龍上里(リョンサンニ)
亀龍里(クリョンニ)
新楊松里(シニャンソンニ)
花薪里(ファシンニ)
化建里(ファゴンニ)
蓮豊里(リョンプンニ)
梨山里(リサンニ)
亀坪里(クピョンニ)
忠上里(チュンサンニ)
松廟里(ソンミョリ)
章吐里(チョントリ)
安賛里(アンチャンニ)
脚注[脚注の使い方]^ ???????, ⇒2008? ?? ??,2009?.
^ “楚山
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表
話
編
歴
慈江道の行政区画
市