検事総長
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同法別表によると、検事総長の俸給額は月額146万6000円であり、国務大臣会計検査院長人事院総裁と同額である[3]
沿革

1875年(明治8年)6月7日:「大検事」岸良兼養(後に大審院長)を大審院詰とした。最上級庁に属する検察官の最上席者という点では今日の検事総長に相当する最初の例である。しかし他の検事に対する指揮監督権などを明文で有していた訳ではなく、その点で今日の検事総長とは異なる。この当時の検察官の官位は、大検事、権大検事、中検事、権中検事、少検事、権少検事と分かれていた。

1877年(明治10年)6月28日:正権の「大検事」・「中検事」・「少検事」の官位を廃止。勅任官たる検察官を「検事長」、奏任官たる検察官を「検事」とした。岸良兼養は「検事長」となり、引き続き大審院詰として、検事総長相当職を継続。

1879年(明治12年)12月27日:「検事長」の官を廃止。奏任官たる検事の他に、勅任官たる「検事」を新設。

1881年(明治14年)10月24日:大審院に検事長を設置。(検事長は官名ではなく勅任検事から補される職名)

1886年(明治19年)5月5日:「裁判所官制」が制定され、控訴院及び大審院の検事局の長として「検事長」を設置。官名は「検事」であり、大審院検事長と東京控訴院検事長は勅任検事の中から補する。
「大審院検事長ハ所属検事及控訴院検事長ヲ監督ス」(裁判所官制第32条)「大審院検事長ハ其局ノ検事ヲ指揮シ及其局所轄ノ事務ヲ掌理ス」(裁判所官制第36条)

1890年(明治23年)11月1日:大審院検事局の長として「検事総長」という職名を創設。官名は検事であり、勅任検事の中から検事総長を補する。
「検事総長ハ其ノ検事局及下級検事局ヲ監督ス」(裁判所構成法第135条)

1914年(大正3年)5月1日:検事総長を勅任検事の中から親補する勅任官親補職に格上げ。(親任官待遇)

1921年(大正10年)6月1日:親任検事を創設し、検事総長を親任検事の中から親補する親任官親補職に格上げ。

1947年(昭和22年)5月3日:日本国憲法施行と同時に裁判所法検察庁法施行。検察組織は裁判所から分離。
「検事総長」を官名と職名とが一致する官職として創設。認証官とする。「検事総長は、最高検察庁の長として、庁務を掌理し、且つ、すべての検察庁の職員を指揮監督する。」(検察庁法第7条第1項)
歴代検事総長

検事総長職に相当する前身各職

大検事(大審院詰)/検事長(大審院詰)/勅任検事(大審院詰)職名/代氏 名在 任 期 間退任後の要職
大検事(大審院詰)/検事長(大審院詰)/初代勅任検事
岸良兼養1875年6月7日 - 1880年10月25日大審院長
第2代勅任検事鶴田皓1880年7月22日 - 1881年10月21日 参事院議官、元老院議官

大審院検事長代氏 名在 任 期 間退任後の要職
1渡辺驥1881年10月24日 - 1886年1月21日 
名村泰蔵1886年1月21日 - 1890年8月21日大審院部長、大審院長心得
三好退蔵1890年8月21日 - 1890年10月31日( → 検事総長へ)


大審院検事総長代氏 名在 任 期 間出身校前職退任後の要職
1三好退蔵1890年11月1日
- 1891年6月3日慶應義塾大審院検事長大審院長
松岡康毅1891年6月5日
- 1892年8月20日長久館東京控訴院長行政裁判所長官、農商務大臣、枢密顧問官、日本大学総長
春木義彰1892年8月22日
- 1898年6月28日司法官貴族院議員
横田国臣1898年6月28日
- 1898年10月15日慶應義塾司法次官、和仏法律学校長検事総長再任
野崎啓造1898年11月4日
- 1904年4月7日広島藩学問所東京控訴院検事長貴族院議員
6横田国臣1904年4月7日
- 1906年7月3日大審院長
松室致1906年7月12日
- 1912年12月21日司法省法学校司法大臣、貴族院議員、
枢密顧問官、法政大学学長
平沼騏一郎1912年12月21日
- 1914年4月30日帝国大学法科大学司法次官( → 親補職へ)
平沼騏一郎1914年5月1日
- 1921年5月31日( → 親任官へ)
平沼騏一郎1921年6月1日
- 1921年10月5日大審院長、慶應義塾大学法学部政治学科教授、日本大学総長、
司法大臣、枢密院議長、内閣総理大臣
鈴木喜三郎1921年10月5日
- 1924年1月7日帝国大学法科大学司法次官司法大臣、内務大臣、貴族院議員、
立憲政友会総裁

10小山松吉1924年1月7日
- 1932年5月26日獨逸学協会学校専修科大審院検事司法大臣、貴族院議員、法政大学総長
11林頼三郎1932年5月28日
- 1935年5月13日東京法学院(現・中央大学)横浜専門学校・初代校長大審院長、司法大臣、貴族院議員、
枢密顧問官、中央大学総長
12光行次郎1935年5月13日
- 1936年12月18日東京帝国大学東京控訴院長貴族院議員
13泉二新熊1936年12月18日
- 1939年2月15日東京帝国大学法科大学大審院刑事第一部長大審院長、枢密顧問官
14木村尚達1939年2月15日
- 1940年1月16日京都帝国大学法科大学東京控訴院長司法大臣
15岩村通世1940年1月17日
- 1941年7月25日東京帝国大学法科大学司法官司法大臣、弁護士
16松阪広政1941年7月29日
- 1944年7月22日東京帝国大学法科大学司法大臣、弁護士
17中野並助1944年7月24日
- 1946年2月8日東京帝国大学法科大学大阪控訴院検事長公職追放で退任後に弁護士
18木村篤太郎1946年2月8日
- 1946年5月22日東京帝国大学法科大学英法科弁護士司法大臣、法務総裁、法務大臣、
参議院議員、保安庁長官、防衛庁長官
19福井盛太1946年6月19日
- 1947年5月2日東京帝国大学法科大学弁護士( → 検察庁法に基づく検事総長へ)


検察庁法に基づく検事総長
※印は法務事務次官経験者代氏 名在 任 期 間出身校前職退任後の要職
1福井盛太1947年5月3日
- 1950年7月13日東京帝国大学法科大学大審院検事総長日本プロ野球コミッショナー
2佐藤藤佐1950年7月14日
- 1957年7月23日東京帝国大学法務府刑政長官秋田経済大学学長
3花井忠1957年7月23日
- 1959年5月12日東京帝国大学法学部東京高等検察庁検事長弁護士、中央大学教授
4清原邦一※1959年5月12日
- 1964年1月8日東京帝国大学法学部次長検事日本プロ野球コミッショナー委員会委員
5馬場義続※1964年1月8日
- 1967年11月2日東京帝国大学法学部東京高等検察庁検事長弁護士
6井本臺吉1967年11月2日
- 1970年3月31日東京帝国大学法学部東京高等検察庁検事長弁護士
7竹内壽平※1970年3月31日
- 1973年2月2日東京帝国大学法学部東京高等検察庁検事長弁護士、日本プロ野球コミッショナー
8大澤一郎※1973年2月2日
- 1975年1月25日京都帝国大学法学部東京高等検察庁検事長弁護士
9布施健1975年1月25日
- 1977年3月20日東京帝国大学法学部東京高等検察庁検事長弁護士
10神谷尚男※1977年3月22日
- 1979年4月16日東京帝国大学法学部東京高等検察庁検事長弁護士
11辻辰三郎1979年4月17日
- 1981年7月22日東京帝国大学法学部東京高等検察庁検事長弁護士
12安原美穗※1981年7月23日
- 1983年12月2日京都帝国大学法学部東京高等検察庁検事長弁護士、(財)国際研修協力機構理事長、
(財)矯正協会会長
13江幡修三1983年12月2日
- 1985年12月19日東京帝国大学法学部東京高等検察庁検事長弁護士
14伊藤栄樹※1985年12月19日
- 1988年3月24日東京帝国大学法学部東京高等検察庁検事長 
15前田宏※1988年3月24日
- 1990年5月10日東京帝国大学法学部東京高等検察庁検事長弁護士、(財)矯正協会会長、日本テレビ放送網取締役、
アール・エス・シー取締役相談役
16筧栄一※1990年5月10日
- 1992年5月26日東京大学法学部政治学科東京高等検察庁検事長弁護士、(財)国際研修協力機構理事長、
(社)日本臓器移植ネットワーク理事長
17岡村泰孝※1992年5月27日
- 1993年12月12日京都大学法学部東京高等検察庁検事長弁護士、(財)国際民商事法センター理事長、
トヨタ自動車監査役、三井物産監査役
18吉永祐介1993年12月13日
- 1996年1月16日岡山大学法文学部東京高等検察庁検事長弁護士、東京海上火災保険監査役、大丸監査役、
ベネッセ監査役
19土肥孝治1996年1月16日
- 1998年6月23日京都大学法学部東京高等検察庁検事長弁護士、関西電力監査役、積水ハウス監査役、
小松製作所監査役、阪急電鉄監査役、阪急阪神ホールディングス監査役、
アーバンコーポレイション取締役、カワセコンピュータサプライ監査役


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