吉井良隆は保久良神社について「椎根津彦命は大阪湾北側を支配する海部の首長であったとされ、西宮夷(兵庫県西宮市西宮神社)の奥夷社の元宮」と推測している[3]。籠神社の倭宿禰 丹後半島の籠神社(このじんじゃ)には「別名・珍彦・椎根津彦・神知津彦 籠宮主祭神天孫彦火明命第四代 海部宮司家四代目の祖 神武東征の途次、明石海峡(速吸門)に亀に乗って現れ、神武天皇を先導して浪速、河内、大和へと進み、幾多の献策に依り大和建国の第一の功労者として、神武天皇から倭宿禰(やまとすくね)の称号を賜る。外に大倭国造、倭直とも云う。」とあり、境内には亀の背に乗った倭宿禰の像がある。 椎根津彦神社
異説
系譜
後裔氏族
倭国造
久比岐国造 - 崇神天皇の御代に椎根津彦の5世孫の御戈命が任命された。
明石国造 - 応神天皇の御代に椎根津彦の8世孫の都弥自宿禰が任命された。
青海氏 - 久比岐国造族の頸城直の支族。
吉備海部氏
依羅物忌氏
海氏
参考文献^ 『日本古典文学大系 67 日本書紀・上』1967年、岩波書店、p.190、頭註
^ 『神戸の神社 市内310社案内』2000年、兵庫県神社庁神戸市支部 編著
^ 『日本の神々―神社と聖地―3 摂津・河内・和泉・淡路』2000年、谷川健一、大和岩雄、落合重信、河尻正、小林章、武田信一、田村利久、東瀬博司、濱岡きみ子、林利喜雄、古田実、松下煌、松本翠耕 編著、白水社
外部リンク
⇒椎根津彦神社
関連項目
飛鳥時代以前の人物一覧
保久良神社
青海神社
椎根津彦神社
島津珍彦
籠神社