1987年、株式会社椎名誠事務所設立[1]。
1989年、『犬の系譜』で第10回吉川英治文学新人賞受賞[1]。
1990年、『アド・バード』で第11回日本SF大賞受賞[1]。映画『ガクの冒険』公開[1]。
1991年、映画製作会社ホネ・フィルム設立[1]。
1993年、映画『あひるのうたがきこえてくるよ。』で第10回山路ふみ子映画文化賞受賞[1]。
1993年から2007年まで、「週刊金曜日」編集委員を務めた[8]。
1996年、映画『白い馬』で日本映画批評家大賞最優秀監督賞、95年度JRA賞馬事文化賞を受賞[1]。
1997年、映画「白い馬」でフランス・ボーヴェ映画祭グランプリ受賞、ポーランド子ども映画祭特別賞受賞[9]。
2011年8月、ネット・ミュージアム「椎名誠 旅する文学館」が開館[11]。2014年、「椎名誠 旅する文学館」シリーズとして、10作の著書が電子書籍化[12]。同年、『ぼくは眠れない』 (新潮新書)で35年間の不眠症体験について記す[13]。
2013年?2016年、椎名主宰の雑誌『とつげき!シーナワールド!!』が出版社を変えながら5巻刊行。 2017年から『ずんがずんが―椎名誠自走式マガジン』と改名して「椎名誠 旅する文学館」から刊行開始。 妻の渡辺一枝(1945年ハルビン生まれ)は作家・エッセイストで、チベットについての本など、多数の著書がある[注 2][14]。娘の渡辺葉は翻訳家でエッセイスト、米国の弁護士[15][16]。息子の渡辺岳[17]はプロボクサー[18][19]として活動後、米国で写真学を学び写真関係の仕事に就いた。 椎名の著作の挿絵を担当することが多く、著作にも頻繁に登場するイラストレーターの沢野ひとしは高校時代の同級生[3]。弁護士の木村晋介は沢野の中学時代の同級生で、沢野の紹介で親友となった[20]。なお渡辺一枝は木村の高校時代の友人である[1]。 中学生のとき、1枚の写真に出会った。兄が購読していた写真雑誌「アサヒカメラ」の1ページだった。陽のあたる農家の縁側で竹のような籠「いづめ」に入れられてゆったり眠っている赤ちゃんの写真に心が奪われた。このいづめに赤ちゃんを入れてあげた親の心の温かさがその1枚の写真から伝わってきた。ふいに今いる、がさつに閉塞した空間にそうそういつまでも付き合っていなくていいのだと気付き、気持ちを切り換えて、じわじわとその狭い世界から脱出していくように努力した。思いがけない「写真の力」を初めて感じ、写真との関係が密接になっていき、「いつしか将来は写真を仕事としたいと思うようになった」という[21]。 写真大学はケガなどもあって中退してしまったが、作家になってから写真と文章とを収録した著書は多数あり、写真雑誌『アサヒカメラ』の連載などを受け持っている。 デビュー前から8ミリ、16ミリでの自主制作映画を撮っていた[22]。「ガクの冒険」で映画監督としてデビューした後に映画製作会社「ホネ・フィルム 無類のビール好きである。中学生の頃に初めてビールを飲み、大人になってからはほぼ毎日飲んでいる[23]。好きな酒肴には、ウニ・ホヤ・ナマコを挙げる。しかし、これらの上を行くものとしてコノワタ、さらに上の究極の肴としてばくらい
人物
家族・交友関係
写真
映画制作
好物
受賞歴
『犬の系譜』
第10回吉川英治文学新人賞(1988年度)