椎名林檎
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これを機に思い悩んだ末、日本でのデビューを決意して帰国する[35][36]
1998 - 2003年:デビューからソロ活動休止まで.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の加筆が望まれています。


1998年

5月27日東芝EMI(当時)からシングル「幸福論」でデビュー[注 10]

9月9日、セカンド・シングル「歌舞伎町の女王」を発売。渋谷系をもじった新宿系を名乗り、話題となる。

10月7日、広末涼子のシングル「ジーンズ」収録のカップリング曲「プライベイト」を提供。


1999年

1月20日、サード・シングル「ここでキスして。」をリリース。

1月27日、ともさかりえのシングル「カプチーノ」に表題曲「カプチーノ」、カップリング曲「木蓮のクリーム」を提供。

2月24日、ファースト・アルバム『無罪モラトリアム』をリリース。先行シングル「ここでキスして。」のヒットを受けてミリオンヒットを記録する[38]

4月より、初のライブツアー「先攻エクスタシー」が福岡公演を皮切りに全国6都市で行われた。また、仙台公演は体調不良のために順延となった。

6月、それまで出演していたCROSS FMの最後の公開放送を北九州スタジオで行う。

8月、「RISING SUN ROCK FESTIVAL 1999 in EZO」に出演。

10月7日、東芝EMIのコンベンション・ライブ「MUSIC TALKS」にて、「東芝EMIガールズ」として宇多田ヒカルとともにカーペンターズの「I Won't Last a Day Without You」を披露[35]

10月27日、4枚目のシングル「本能」を発売。プロモーション活動をナースコスプレで行う。このシングルがミリオンセラーになり、世間に幅広く認知された。

11月、学園祭ライブツアー「学舎エクスタシー」(東海大学昭和女子大学西南学院大学立命館大学)を行う。


2000年

1月26日、セカンド・アルバムからの先行シングルとして「ギブス」と「罪と罰」を2枚同時発売[注 11]

3月16日から30日までの間、セカンド・アルバムの中から1曲(「浴室」)をプロモーションとしてインターネット上で無料配信したところ、2週間で25,000ダウンロードを記録した[注 12][40]

3月31日、セカンド・アルバム『勝訴ストリップ』をリリース。オリコンで230万枚を超える大ヒットを記録し、このアルバムで日本ゴールドディスク大賞ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー[41]第42回日本レコード大賞 ベストアルバム賞[42] を受賞する。

4月17日より、2度目のライブツアー「下剋上エクスタシー」を行う。栃木県総合文化センターを皮切りに、全国14都市を回った。

6月21日、ともさかりえのシングル「少女ロボット」に表題曲「少女ロボット」他2曲を提供。

6月から7月まで、ガールズバンド発育ステータス」を結成してシークレット・ライブハウスツアー「御起立ジャポン」を行った。

7月30日、福岡県飯塚嘉穂劇場にて一夜限りのライブ「(稀)実演キューシュー 座禅エクスタシー」を開催。この時実施されたインターネットライブ中継で、瞬間同時アクセス数が当時の日本新記録となる17,300ストリームを記録した[注 13][43]

11月、ギタリスト弥吉淳二と極秘入籍[44]


2001年

1月29日、自身のオフィシャルサイトで弥吉淳二との結婚と妊娠を発表[44]

3月28日、7枚目のシングル「真夜中は純潔」発売[注 14]。以降、出産のために一時活動を休止。

7月、男児を出産。


2002年

1月、弥吉淳二と離婚[44]

5月27日、初のカバー・アルバム唄ひ手冥利?其ノ壱?』発売。

10月27日発売のスピッツトリビュート・アルバム一期一会 Sweets for my SPITZ』に参加、「スピカ」をカバーした。


2003年

1月22日、復帰後初のシングル「茎 (STEM) ?大名遊ビ編?」を発売。自身初のオリコンシングルチャート 1位を獲得した。

2月23日、サード・アルバム『加爾基 精液 栗ノ花』を発売。それに先駆けて、アルバムのプロモーションのためにTBS報道番組筑紫哲也 NEWS23」内のコーナー「金曜深夜便」(2月21日放送)に録画で出演し、メインキャスターの筑紫哲也と対談。これが活動休止後初の地上波テレビ出演となった。またテレビ朝日系の報道番組「ニュースステーション」(3月26日放送)に今度は生出演し、同様にメインキャスターの久米宏と対談した。アルバムの発売当日には、それを記念したコンサートイベント「実演生中継 賣笑エクスタシー」を東京都九段会館で開催。その模様は全国各地のホールやライブハウスに衛星生中継された。

8月より、約3年ぶりの全国ツアー「実演ツアー 雙六エクスタシー」を開催[注 15]。9月27日には追加公演として初の日本武道館公演を行う。また夏の間にトレードマークだった鼻の下のほくろを手術によって除去[45]


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