椎名林檎
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1月25日、リオデジャネイロオリンピック閉会式同パラリンピック閉会式における、2020年東京オリンピック同パラリンピックへの「フラッグハンドオーバーセレモニー」検討メンバー(プランニング担当)に就任[56]

2月28日、「SPACE SHOWER MUSIC AWARDS」で「BEST FEMALE ARTIST(もっとも優れた女性ソロアーティストに授与される賞)」を受賞[57]

12月31日、第67回NHK紅白歌合戦に4度目の出場。

2017年


おとなの掟』を発売。ドラマ「カルテット」の主題歌として書き下ろした。大ヒットを記録し、2017年度にもっとも売れた配信シングルとなった[58]

目抜き通り』を発売。大型商業施設「GINZA SIX」のテーマソングとして、銀座の魅力を表現した新たなる銀座のテーマソング制作の依頼を受けて椎名林檎が書き下ろした。

12月6日、セルフカバーアルバム第二弾、『逆輸入 ?航空局?』を発売[59]

12月、2020年東京オリンピックの『4式典総合プランニングチーム』に選出される[5]

12月31日、第68回NHK紅白歌合戦に5度目の出場。

2018年


5月23日、初のトリビュートアルバム『アダムとイヴの林檎』を発売[60][61]

5月27日、全曲のサブスクリプションサービス解禁[62]

9月27日、10月1日にリニューアルされる「news zero」の新テーマソングとして書き下ろし新曲『獣ゆく細道』の起用が発表。zeroでの初OA時にゲストがエレファントカシマシ宮本浩次であることが明かされ、初OA直後の翌2日から配信限定でリリース&各種サブスクリプションサービスで解禁された[63][64]

12月31日、第69回NHK紅白歌合戦に6度目の出場[65]

2019年


5月27日、約4年半ぶりとなるオリジナル・アルバム『三毒史』を発売[66]。それに先駆けてアルバム収録曲「鶏と蛇と豚」を4月23日[67]、「駆け落ち者」を5月2日[68]、「TOKYO」を5月17日[69] に先行配信。

11月13日、自身初となるベスト・アルバム『ニュートンの林檎 ?初めてのベスト盤?』を発売[70]。アルバム内には新曲として「公然の秘密」(9月30日に先行配信[71])、宇多田ヒカルとの「浪漫と算盤 LDN ver.」(11月2日に先行配信[72])を収録している。

人物

埼玉生まれ、静岡福岡育ち。血液型O型。「椎名林檎」としてのプロフィール上は音楽活動を始めた福岡の出身となっている[17]。生後まもなく先天性食道閉鎖症と診断されて手術を受けたが、この際に右の肩甲骨付近にメスを入れられた影響で左右のバランスが取れない障害が残り、のちに始めたピアノクラシックバレエを途中で断念せざるを得ない原因になったという。

「椎名林檎」という芸名は高校生のとき、「ここでキスして。」「ギブス」「茜さす帰路照らされど…」「虚言症」などの作品を初めてJASRACへ著作者登録をする際に筆名が必要となり、あくまで一時的なつもりで使用したのが始まり。なぜ「林檎」と命名したかについては、自身のバンド活動もドラマーから始まったということもあってビートルズのドラマーだったリンゴ・スターの名前を借用したと語っている[11]。また名前が人の名前とは思えない、物体そのものを表すものだということについては、漫画家の吉田戦車ペンネームからの影響があると語っている[73]。もともとの由来は、子供のころはかなりの恥ずかしがり屋で、学校で先生に指されるとすぐほっぺたが真っ赤になってしまっていたから[74]

歌詞に旧仮名遣い旧字体を使用することから読書家だと思われることも多いが実はそうでもなく、本人曰く「よく読んでいるのは辞書」とのこと[75]。近年では音楽番組に出演した際に歌詞のテロップが縦書きのシネマフォントで表示されていることが多い。

デビューからしばらくの間標榜していた「新宿系」については、「取材などで常に『(ジャンルは)何系?』と聞かれるのが面倒くさいので口から出まかせを言った」[76] などと答え、またその定義についても「本当は意味などなかったが何か理由づけしないと相手に悪いと思って聞かれたことに対して一生懸命答えたのだろう」[77] と明かしている。

トレードマークだった左の口元のほくろについては、「小学校時代に女優の沢口靖子マドンナのように口元にほくろのある女性に憧れてペンで書いていたら本物になった」という噂を本人が肯定しており、また2003年に手術で除去したもののその後ふたたび近い場所に新しいほくろが出来てしまったとも語っている[11][45]

デビュー当時からすでにシーナ・リンゴ名義で広末涼子ともさかりえに楽曲提供を行っている(別項参照)。

吉岡里帆のラジオにゲスト出演した際、「鶏と蛇と豚」のPVについて、「(制作した)児玉監督は主人」であると自ら明かした。さらに、「独自の視点で提案してくれる。半分はケンカするが、半分は凄い凄いと言ってるから離婚しないでいる」と語っている[10]
デビューまでの経緯

東芝EMIの制作ディレクターだった篠木雅博[注 16]が九州エリアの宣伝マンの熱心な推薦とレコード会社内でマネジメントができるという理由によって契約を決め、実績のある外部ディレクターに楽曲制作の現場を任せることにした。しかし作品の大幅な手直しが必要だとするディレクターとそれを断固として拒否する椎名が激しく対立し、その体制は断念せざるを得なかった。作品に強烈な違和感を感じた篠木自身もディレクターと同意見だったが、年配者に受け入れられなかった吉田拓郎などの前例を踏まえ、それまで経験したことがないほどの違和感は大化けの予兆かもしれないとも思った。椎名の個性を生かすには旧来のディレクションは無視して自由にやらせるしかないと考えた篠木は、アレンジャーとしてベーシストの亀田誠治を紹介してすべてをその2人の作業に委ねた[79][80]
休業

2001年からの休業は一般的には産休だと思われていたが、実際は引退して家庭に入ろうとしていた。しかし契約やその他諸々の義務を果たすためにカバーアルバムを出したところ、周囲から音楽活動の継続を求められることになった。だが当人はそのままでは続けるモチベーションが見いだせなかったため、バンド・東京事変を結成することにした。未知の相手と仕事をすることである程度の縛りを自分に与えるためであった[81]

その当時、海外リリースの話も来ていてヴァージン・レコードのレーベルにも呼ばれたが、自分自身はやめようと思っているのに周りの人々が熱を帯びていく様子がいたたまれなかったという。


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