椎名林檎
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」のヒットを受けてミリオンヒットを記録する[38]

4月より、初のライブツアー「先攻エクスタシー」が福岡公演を皮切りに全国6都市で行われた。また、仙台公演は体調不良のために順延となった。

6月、それまで出演していたCROSS FMの最後の公開放送を北九州スタジオで行う。

8月、「RISING SUN ROCK FESTIVAL 1999 in EZO」に出演。

10月7日、東芝EMIのコンベンション・ライブ「MUSIC TALKS」にて、「東芝EMIガールズ」として宇多田ヒカルとともにカーペンターズの「I Won't Last a Day Without You」を披露[35]

10月27日、4枚目のシングル「本能」を発売。プロモーション活動をナースコスプレで行う。このシングルがミリオンセラーになり、世間に幅広く認知された。

11月、学園祭ライブツアー「学舎エクスタシー」(東海大学昭和女子大学西南学院大学立命館大学)を行う。


2000年

1月26日、セカンド・アルバムからの先行シングルとして「ギブス」と「罪と罰」を2枚同時発売[注 11]

3月16日から30日までの間、セカンド・アルバムの中から1曲(「浴室」)をプロモーションとしてインターネット上で無料配信したところ、2週間で25,000ダウンロードを記録した[注 12][40]

3月31日、セカンド・アルバム『勝訴ストリップ』をリリース。オリコンで230万枚を超える大ヒットを記録し、このアルバムで日本ゴールドディスク大賞ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー[41]第42回日本レコード大賞 ベストアルバム賞[42] を受賞する。

4月17日より、2度目のライブツアー「下剋上エクスタシー」を行う。栃木県総合文化センターを皮切りに、全国14都市を回った。

6月21日、ともさかりえのシングル「少女ロボット」に表題曲「少女ロボット」他2曲を提供。

6月から7月まで、ガールズバンド発育ステータス」を結成してシークレット・ライブハウスツアー「御起立ジャポン」を行った。

7月30日、福岡県飯塚嘉穂劇場にて一夜限りのライブ「(稀)実演キューシュー 座禅エクスタシー」を開催。この時実施されたインターネットライブ中継で、瞬間同時アクセス数が当時の日本新記録となる17,300ストリームを記録した[注 13][43]

11月、ギタリスト弥吉淳二と極秘入籍[44]


2001年

1月29日、自身のオフィシャルサイトで弥吉淳二との結婚と妊娠を発表[44]

3月28日、7枚目のシングル「真夜中は純潔」発売[注 14]。以降、出産のために一時活動を休止。

7月、男児を出産。


2002年

1月、弥吉淳二と離婚[44]

5月27日、初のカバー・アルバム唄ひ手冥利?其ノ壱?』発売。

10月27日発売のスピッツトリビュート・アルバム一期一会 Sweets for my SPITZ』に参加、「スピカ」をカバーした。


2003年

1月22日、復帰後初のシングル「茎 (STEM) ?大名遊ビ編?」を発売。自身初のオリコンシングルチャート 1位を獲得した。

2月23日、サード・アルバム『加爾基 精液 栗ノ花』を発売。それに先駆けて、アルバムのプロモーションのためにTBS報道番組筑紫哲也 NEWS23」内のコーナー「金曜深夜便」(2月21日放送)に録画で出演し、メインキャスターの筑紫哲也と対談。これが活動休止後初の地上波テレビ出演となった。またテレビ朝日系の報道番組「ニュースステーション」(3月26日放送)に今度は生出演し、同様にメインキャスターの久米宏と対談した。アルバムの発売当日には、それを記念したコンサートイベント「実演生中継 賣笑エクスタシー」を東京都九段会館で開催。その模様は全国各地のホールやライブハウスに衛星生中継された。

8月より、約3年ぶりの全国ツアー「実演ツアー 雙六エクスタシー」を開催[注 15]。9月27日には追加公演として初の日本武道館公演を行う。また夏の間にトレードマークだった鼻の下のほくろを手術によって除去[45]

11月25日、9枚目のシングル「りんごのうた」を発表。この楽曲は10月から11月にかけてNHKみんなのうた」で放送された。このシングルで一旦ソロ活動を停止する。


2004 - 2007年:東京事変始動

この節の加筆が望まれています。

2004年


5月31日、バンド「東京事変」としての活動を宣言。神戸でのライブイベントを皮切りに「MEET THE WORLD BEAT」、「FUJI ROCK FESTIVAL '04」、「SUNSET LIVE 2004」に参加、同年9月にシングル、11月にはアルバムを発売(詳細は東京事変を参照のこと)。

2005年


7月8日、フジテレビ系の音楽番組「僕らの音楽」にて、福岡のアマチュア時代から親交のあったZAZEN BOYS向井秀徳が自身の特集回で椎名を歌のゲストとして招き、共演を果たす[46]

12月、公式ファンクラブ「林檎班」の会員限定イベント「第1回林檎班大会 アダルト・オンリー」にて、久々にソロでのライブを行う。

2006年


11月11日、椎名林檎名義としては3年ぶりのリリースとなるSOIL&"PIMP"SESSIONSとの共演作品「カリソメ乙女(DEATH JAZZ ver.)」を配信限定で発売し、ソロとして本格復帰を果たす。この楽曲はフォトグラファー蜷川実花初の監督作品であり、椎名が初の音楽監督を務める翌2007年公開の映画さくらん」の主題歌で、劇中には様々なバージョンの楽曲が挿入歌として使用されている。

2007年


1月17日、椎名林檎×斎藤ネコ+椎名純平名義でシングル「この世の限り」を発売。この楽曲は映画「さくらん」のエンディング・テーマに起用された。

2月21日、椎名林檎としては4年ぶりとなるアルバム『平成風俗』を斎藤ネコとの共同名義で発売。

2月23日、フジテレビ系の音楽番組「僕らの音楽」に出演、ゲストとして招いたシアトル・マリナーズ所属(当時)のメジャーリーガーイチローと対談を行った[47]


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