作曲について、自身では「自分は旋律(メロディ)と和声(ハーモニー)の関係性にこそ常に関心を持つべきだ」と思っている。アレンジが違っても成立するよう、例えばスーパーなどでかかるMIDI音源のインストのようにまっさらな状態で聴いたときにいかに光るものを書いておくかが自分にとっては大事だと思っているため、ビートや音色に触発されてサウンドの方から組み立てていくアプローチは極力しないようにしている。デモを作る段階で編成のボリュームを決め込むため、レコーディングでそれを生楽器に置き換えたときにそれぞれのプレイヤーからのプラスアルファによって元の音数が減ることはあっても増えることはほとんどない。しかしあまり細かい部分まで決め込んでしまうとプレイヤーの演奏を縛ってしまうので、デモの段階では最低限のものを渡している。とはいえ、皆フレーズやリフはデモのままやってくれることが多いという[85]。
作詞の際は、まず曲のイメージを損なわない英語で仮の歌詞を書いてからデモを作り[注 18]、そのあとでメロディと母音や子音との関係性で英語詞にするか日本語詞にするかを決める。歌詞は「思いつくのではなくあとから当てはめて行くという感じ」と述べている[86][87]。 クラシックが好きでジャズやポピュラー・ミュージックへの造詣も深い父親と古い歌謡曲が好きでバレエ経験のある母親の間に生まれ、音楽的な環境に恵まれた家庭に育つ[88]。音楽的原体験はドビュッシーのピアノ曲[89]。バレエやピアノを習っていた影響で幼少期にはクラシック音楽を好んでいたが、ピアノ曲以外はあまり好きではなく、管弦楽曲でもバレエ音楽ばかりを聞いていた[89]。クラシック以外ではアストル・ピアソラやマイルス・デイヴィスを聴くことが多かった[90]。歌のある曲にはほとんど興味がなかったが、父親の影響でザ・ピーナッツは好きだった[89][91]。小学生の頃は、映画『風の谷のナウシカ』のサウンドトラックや母親の好きだった五輪真弓、太田裕美、朱里エイコ、大塚博堂、寺尾聰、来生たかお、ペドロ&カプリシャス、長谷川きよし[注 19] のような古い歌謡曲、そして父親の好きだった渡辺貞夫やビリー・ジョエルおよびニーナ・シモン、サラ・ボーン、エラ・フィッツジェラルドなどの女性ジャズ・ボーカリストを好んで聞いていた[89][92][93][94]。中学生になると、兄の影響でモータウンやソウル・ミュージック、R&Bなどのブラック・ミュージックに傾倒するようになり(フェイバリット・アーティストはマーヴィン・ゲイ)、邦楽をまったく聞かなくなった[93]。高校に進むとBLANKEY JET CITYやエレファントカシマシをきっかけに日本語の歌詞を受け入れてふたたび邦楽も聞くようになり、洋楽ではレディオヘッドやビョークを聞いていた[95]。セックス・ピストルズには音よりもビデオなど映像の方で影響を受け、音として多く聴いていたのはレッド・ホット・チリ・ペッパーズやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、パール・ジャムなど[95]。高校を辞めた後は感覚が昔に戻ったのか、改めてトッド・ラングレンやレッド・ツェッペリン、ビートルズなどを聞き直していた[95]。 BLANKEY JET CITY、SHERBETSのボーカル、ソングライターである浅井健一の大ファンであり、様々な面で大きな影響を受けたことを公言している[96]。また、椎名の楽曲である「丸ノ内サディスティック」の歌詞に登場するベンジーとは浅井健一の愛称である[97]。 ナンバーガールやそのソングライターである向井秀徳から受けた音楽的な影響の大きさについて頻繁に公言している[98][92]。 ボーカリストとしてはフェアーグラウンド・アトラクションのエディ・リーダーに憧れていたが、声質がまるで異なることを自覚していたので、同様に好んで聞いていたジャニス・イアンを目指すことにした[75][91]。またデビュー当時、和製アラニス・モリセットとよく言われたが、本人としてはクランベリーズのドロレス・オリオーダン[注 20]のイメージだった[100]。 2022年11月30日に発売予定だったリミックスアルバム『百薬の長』限定版の特典グッズのうち、アクリルカードケースが「義足や人工関節を使用している人、内部障害や難病の人、または妊娠初期の人など、外見からは分からなくても援助や配慮を必要としている人々が、援助を受けやすくするため」に使用される「ヘルプマーク」に酷似していること、マスクケースに「赤十字マーク」のような柄があることについて、同年10月8日頃に問題になった[101][102][103][104]。
音楽的ルーツ
騒動
特典グッズのヘルプマーク・赤十字マーク類似問題