早稲田大学を卒業した1974年、住友商事に入社する[3][4]。住友商事では、当初は鉄の輸出に関する事業に携わっていたが、その後、映像メディア事業に携わるようになる[4]。1987年には、住友商事の映像メディア事業部にて、参事に就任した[3]。また、住友商事が講談社やアスクとともに設立したアスミックにおいては、1991年に取締役映像事業本部長に就任した[3]。その後、アスミックはエースピクチャーズと合併し、新たにアスミック・エース エンタテインメントが発足することになり、1998年より同社の代表取締役専務に就任した[3]。その後、アスミック・エース エンタテインメントの社長である原正人が有瘻性膿胸を患ったことから、その後任として2000年に社長に昇格した[3][4][5]。
2004年、角川エンタテインメントにて、代表取締役として社長に就任した[3]。以来、アスミック・エース エンタテインメントと角川エンタテインメントの双方の社長を兼任していたが、2006年にアスミック・エース エンタテインメントの社長を退任し会長に退いた[6]。その後、角川エンタテインメントは角川映画に吸収合併されることになったが、角川映画においても2009年より代表取締役社長を務めた[3][4]。2011年、角川グループの中核企業である角川書店の代表取締役専務に就任した[3]。その後、角川書店にて、取締役相談役を務めた[3]。2013年、KADOKAWAの取締役相談役に就任した[4][7]。
また、そのかたわら、外国映画通関連絡協議会では会長、日本映画製作者連盟では参与、外国映画輸入配給協会では副会長、映画産業団体連合会では顧問を務めるなど、さまざまな業界団体の役職も歴任した[3][8][9]。東京国際映画祭では実行委員を務めていたが、チェアマンの依田巽の退任にともない、2013年4月1日付で新設されたディレクター・ジェネラルのポストに就任した[4][10]。 若いころは東映のヤクザ映画を好んでいたが、それ以外の映画にはあまり興味を持てなかったという[4]。本格的に映画を観始めたのは、住友商事で映像メディア事業に携わるようになった30代後半からである[4]。その後は多くの映画作品にスタッフとして携わり、エグゼクティブプロデューサーなどを務めている。映画『グーグーだって猫である』においては、井上伸一郎らとともに出演している。
人物
略歴
1951年 - 東京都にて誕生。
1974年 - 早稲田大学理工学部卒業。
1974年 - 住友商事入社。
1987年 - 住友商事映像メディア事業部参事。
1991年 - アスミック映像事業本部本部長。
1998年 - アスミック・エース エンタテインメント専務。
2000年 - アスミック・エース エンタテインメント社長。
2004年 - 角川エンタテインメント社長。
2006年 - アスミック・エース エンタテインメント会長。