森脇健児
その理由は「全国ネットに向けて気持ちを高めるには、のぞみでは早すぎるから」としているが、森脇の所属する松竹芸能の後輩トリオである安田大サーカスの団長安田の証言によると、「実際は格安チケットで安く移動してるだけ」とのこと。
2015年6月30日に発生した東海道新幹線火災事件においては、東海道新幹線で移動中だった多くの芸能人が足止めで仕事キャンセルを余儀なくされる中、森脇は前述のとおりこの日も「こだま」で東京に向かっており、掛川駅停車中に事件が発生した。森脇も「のぞみ」だと通過線になってしまい降りられないが、「こだま」なので降りることができたため掛川駅からタクシーで東京まで移動し、若干の遅刻で難を逃れることができた[5]。
東京での定宿はドーミーイン東京八丁堀。
2016年4月13日、映画を見に行った際にスマートフォンをトイレに水没させたことを、2016年4月16日放送のKBS京都ラジオ「サタデースタジアム」で公表した。森脇は「LINEもTwitterもメールもでけへん。docomoに修理で預けてあるわ」と言っていた。
スニーカーのサイズは26.5 cmであるが、右足が8 mm短い。
大学1年時に枚方家具団地のラウンジナイトで2?3週間夜中に皿洗いのアルバイトをしていた。ほかに、毛糸運びのアルバイトをしていた。
タモリの家に俳優の吉田栄作や工藤兄弟と何度か食事に呼ばれて行ったが、そのきっかけは甥が森脇に似ているタモリの嫁のリクエストだった。
タモリを激怒させたことが2回あり、理由については森脇が焼肉店で工藤兄弟と肉を同時に何枚も焼き過ぎたこと、その翌週に打ちっぱなしで工藤兄弟とずっと喋っていてタモリのゴルフのスイングを見ていなかったことである。
慕っていた鶴志から「歩く生殖器」という愛称をもらう。
宗教は浄土宗。
スポーツで冗談を言う人が苦手である。
スポーツ関連
京都の高校陸上競技史上に名を残す洛南高校「森脇三兄弟」の次男であり、現役時代にはインターハイで100 m 11秒2をマークした。
1995年、ワタナベボクシングジム所属でフェザー級プロボクシングライセンス取得。忙しいながらも渡米に備え英会話と空手を習う吉田のストイックさに影響を受け、ボクシングを始める。
2000年代以降は長距離走での活躍が多く、以下のような活躍がある。
『オールスター感謝祭』(TBS)の赤坂5丁目ミニマラソンには、2003年秋に初出場し、初出場で初優勝(タイム 14分36秒)を果たした。他の優勝経験者などが後に故障や加齢による体力低下などで出場をやめてしまうことが多い中、その後も毎回出演し2019年春で32回連続出場となっている。毎回プロのマラソンランナーや猫ひろしらの次に重いハンデを背負う不利な状況ながら、2019年春時点で全て10位以内と好成績(優勝3回あり)。なお、本番前には毎回ホテルで遺書を書いている。これは、森脇が毎回死ぬ気で走っている象徴的なエピソードである。また初出場した際は干されていた時期でもあり、スタジオからもお客さんからも誰にも「頑張れ」と言われず優勝した際も「空気を読めよ」という感じで歯痒い思いをした。それが自身の引退がかかった2014年秋ではスタジオからもお客さんからも「頑張れ」と声援をもらえたことが本当に嬉しかったという[6]。
2007年12月25日に行われた『第2回関西駅伝No.1決定戦』では松竹芸能チームとして出場し、前回大会の区間記録8分16秒(区間2.5 km)を上回る8分5秒を記録するも、当時セレッソ大阪所属の香川真司が8分4秒を記録し僅差で区間賞を逃した。なお、香川も駆け引きをして勝つことを狙ったようで「最後のスパートでふりきった。 ポジションどりでうまくいった。」と語っている。
『走る男』シリーズは長距離走主体の番組であり、独立局共同制作番組では珍しくII・F・女子部・THE FINALと5シリーズ、6年間に渡り続いていた人気シリーズである。同番組内のブログが事実上当該期間における森脇個人のブログともなっていた。またFの企画で行われた『au×adidas EKIDEN GRAND PRIX 大阪大会』(2011年1月22日)では、チーム走る男(Aチーム)が393組中3位に入った。
上記の活躍から、森脇は全国各地のマラソン大会のゲストランナー・チャリティランナーとして参加することが多く、2011年に初開催の大阪マラソン・2012年に初開催の京都マラソンでもチャリティランナーを務めた。それに先駆け、『走る男F』内で大阪マラソン・京都マラソンのコースを試走する企画も行われた。フルマラソンベストタイムは4時間11分39秒。初マラソンは5時間58分。
『千鳥の鬼レンチャン』で不定期に行われる「400m走サバイバルレンチャン」に毎回出場しており、年齢差ハンデと言い、レースの途中から競技用スパイクに履き替えるといった暴挙を行いながらも、毎回決勝レースまで勝ち残るという好成績をみせている。
1992年の全日本ツーリングカー選手権にHKSのチーム監督として森脇がエントリーした。マシンは日産・スカイラインGT-Rで、『KENJI HKS GT-R』を名乗った。
出演
現在
テレビ
オールスター感謝祭(TBSテレビ)
あんぎゃでござる!!(2018年4月 - 、KBS京都テレビ)※KBS京都日曜夜森脇健児バラエティ枠
SUNNY TIME(2022年8月6日 - 、KBS京都)レポーター
NEWS×情報 キャッチ+(2021年4月 - 、サンテレビ)レポーター
HITMON!!(2015年10月 - 、関西テレビ)
ラヴィット!(TBSテレビ)- 「オールスター感謝祭」前日の金曜日に定期的に出演。
ラジオ
森脇健児のサタデースタジアム (KBS京都ラジオ)
森脇健児のぶっとび水曜日(2024年4月 - 、ラジオ大阪)
YouTube
やる気!元気!森脇チャンネル(2019年8月 - 、eo光チャンネル)
過去
テレビ (バラエティ番組)
笑わなあかん夜(毎日放送)※高3でテレビ初出演し5週勝ち抜き賞金20万円[7]
ワイドYOU(毎日放送)※19歳の時に2曜日出演「嫁と姑」「細木数子の大殺界(金曜)」
YOUごはんまだ?(朝日放送、1985年 - 1986年)
オゲンコ特ッ派員!(1986年5月 - 1987年10月、テレビ大阪)
ざまぁKANKAN!(1988年 - 1990年、読売テレビ)
DODONGO!(読売テレビ)
EXテレビ(1990年 - 1994年日本テレビ)※金曜レギュラー
マジカル頭脳パワー!!(1990年 - 1999年、日本テレビ)※スペシャル放送時出演
アイドル共和国(1989年4月 - 1991年3月、テレビ朝日)※3代目司会として途中からレギュラー
桜っ子クラブ(1991年4月 - 1994年8月、テレビ朝日)
森脇・山田の抱腹Z(朝日放送)
森脇・山田の送りオオカミしちゃうぞ!(フジテレビ)
森脇健児の夢屋珍宝堂(1990年 - 1991年、TBS)
森脇健児のTHE話THE話(1991年、TBS)
森田一義アワー 笑っていいとも!(1991年 - 1996年、フジテレビ)
笑っていいとも!増刊号(1991年 - 1996年、フジテレビ)
笑っていいとも!特大号(1991年 - 1996年、フジテレビ)
夢がMORI MORI(1992年 - 1995年、フジテレビ)
水瓶一座(1992年、よみうりテレビ)
プロ野球ニュース(1993年4月 - 1994年3月、フジテレビ)
森脇健児の切磋たく丸!!(1992年 - 1994年、朝日放送)
超IQ!ひらめきパパ(1994年 - 1995年、日本テレビ)
TVおじゃマンモス(1994年 - 1998年、日本テレビ)
まいど!音楽ラスベガス(1994年 - 1995年、テレビ朝日)
音楽ニュース・HO(1995年 - 1996年、テレビ朝日)
おねだり姫(1996年 - 1997年、テレビ朝日)
ウッチャンナンチャンのウリナリ!!(1996年 - 2002年、日本テレビ)※初期レギュラー〈1996年4月 - 8月〉
神様!!BOMB!(1996年、日本テレビ)
ムキムキ!たまご(1995年、テレビ朝日)
わいわいティータイム(1997年、TBS)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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