森田順平
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また、大河ドラマの時代考証を担当する事が多かった林邦史朗に師事して抜刀術の免許を取得しており、同じくNHKの大型時代劇だった『宮本武蔵』に出演した際は、それを知った刀剣の専門家が、森田演じる人物が刀剣の手入れをする場面で、森田が真剣を使えるよう、撮影当日に自身の所持品を1つ貸し出してくれたことがあり、「真剣が使える訓練をしていたおかげで、専門家の方と触れ合えたのが嬉しかったなと思います」と述べている[23]

俳優として実在の人物を演じる場合、事前にその人物に関する書籍を1冊だけ読み込むようにしており、制作側から指定がなければ自身で選定するようにしている。これは複数の書籍を読み込む時間が取れないことと、芝居に関する統一感がなくなることを防ぐためであり、その1冊の中から演技に必要なものをピックアップすることで、演じる人物像の構築をする作業を必ず行っている。大河ドラマのデビュー作となった『花神』で沖田総司を演じた際は、事前に早乙女貢の『沖田総司』を上下巻読破し、後にこれを知った早乙女本人から激賞されたことがある[24]。準備時間に余裕のある場合は、事前に演じる人物にゆかりのある場所を訪れることにしており、NHK大河ドラマでは、『花神』で東京にある沖田総司の墓を、『信長 KING OF ZIPANGU』で岐阜城を、『武田信玄』で小渕沢の信玄館を、それぞれ訪問している[25]

戦国時代の実在の人物を演じる場合は、その人物の基本的な性格や生活様式の再現を重視しており、役者として『その人物がどういうふうに生きたか』ということを大事にするため[24] に、武勇伝や成功譚よりも、日常のさり気ない逸話を教わる方が重要であると考えている。具体的には大河ドラマでは、『信長 KING OF ZIPANGU』で河尻秀隆を演じた際、清州城攻略後に信長家臣に取り入るため、酒盛りの場で『ひょっとこ踊り』を踊った逸話を事前に知って、振付担当の猿若清三郎の協力の元、ナンバ歩きを採り入れながら踊りの所作を一から考案して芝居に活かすことができた[26] が、『功名が辻』で酒井忠次を演じた際は、三方ヶ原の合戦で太鼓を叩いた逸話は知っていたが、『えび踊り』を他の武将たちに披露した逸話を、演じた後に知ったため、芝居の方向性に関しては未だに悔いが残っているという。また憎まれ役や敵役を演じる際も、別の地域では英雄視されている人物を演じる場合、その英雄像を壊さないよう、極力配慮しながら演じるよう心掛けている[27]

出生が京都であったため、多少の関西弁が話せる。2010年に俳優座の舞台で千利休を演じた際は、利休が堺の人であることを考慮して、台本標準語だった台詞を全て泉州弁(堺言葉)に変更して演じたことがある[28]

村松英子の影響により、カトリック信徒[29]

父は家業で歯科医療器具の製造販売の仕事をしていた[5]。そのため、森田に「歯医者になって欲しい」と言っていた[5]
出演(俳優)
テレビドラマ

大河ドラマNHK

花神(1977年) - 沖田総司

草燃える(1979年) - 北条時房

徳川家康(1983年) - 浅野幸長

武田信玄(1988年) - 今井兵部 役

春日局(1989年) - 斎藤利宗

信長 KING OF ZIPANGU(1992年) - 河尻秀隆

八代将軍吉宗(1995年) - 小笠原胤次

徳川慶喜(1998年) - 正親町三条実愛

葵 徳川三代(2000年) - 三条西実条

功名が辻(2006年) - 酒井忠次

篤姫(2008年) - 伊達宗城


早筆右三郎(1978年、NHK) - 軍鶏の鬼一 役


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