1977年に『金木犀はまだ咲かない』で初舞台を踏む[4][6][13]。同年、NHKの新人オーディションに参加して大河ドラマ『花神』でテレビデビュー[4][5][6]。
1979年開始の『3年B組金八先生』に数学教師・乾友彦役で約30年間出演した。1995年に文学座を退座後、フリーで活動してスケジュール調整、ギャラ交渉もしていた[5][6]。しかし先方に迷惑をかけることも多々あり、1998年にあるプロデューサーから紹介されたマウスプロモーションへ所属して以降は声優業も行うようになった[1][5][6][9]。同年、44歳で久野くみこと結婚し、1男1女がいる[8]。
また、洗足学園音楽大学や東邦音楽大学で講師として教鞭を執っている[14][15]。 特技は柔道[1][2]、小倉弁[7]。趣味はカレーの食べ歩き[7]、パズルゲーム[7]。 声優としては専属(フィックス)のヒュー・グラントとコリン・ファースをはじめ[16]、マシュー・マコノヒーやジャレッド・ハリス、ブルース・グリーンウッドなどの吹き替えを多く担当している[17][18]。 『3年B組金八先生』をゲーム化した『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』では、高峰通(数学、学年主任)で出演。起用された経緯は3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!#音声を参照。 渡辺勝也は、森田は会うたびに「子供向け番組は素晴らしい。演じていて楽しい」ということを熱く語ると証言している[19]。 紅殻のパンドラのブエル役には、名和宗則の熱い要望で参加した。橋龍也によれば、「ダンディーな森田とブエルのキャラクターのギャップがあまりにも大きくて、収録は本当に楽しかった」という[20]。 『NARUTO -ナルト- 疾風伝』の長門は苦労して演じたキャラクターの1つであり、特に主人公と対峙した際、平和への憧れを語るシーンでは感情移入してしまい、少し泣きながら演じていたという[21]。 NHK大河ドラマには複数回出演しているが、2度目の出演となった『草燃える』以降、本格的な乗馬訓練をしており、6度目の出演となった『信長 KING OF ZIPANGU』では、NHK直々の指令により小渕沢にて、乗馬や騎乗しての殺陣などの練習を5日間、缶詰め状態で指導を受けた。現在でも度々私用で訪問しており、八ヶ岳の山麓を外乗することが趣味となっている[22]。また、大河ドラマの時代考証を担当する事が多かった林邦史朗に師事して抜刀術の免許を取得しており、同じくNHKの大型時代劇だった『宮本武蔵』に出演した際は、それを知った刀剣の専門家が、森田演じる人物が刀剣の手入れをする場面で、森田が真剣を使えるよう、撮影当日に自身の所持品を1つ貸し出してくれたことがあり、「真剣が使える訓練をしていたおかげで、専門家の方と触れ合えたのが嬉しかったなと思います」と述べている[23]。 俳優として実在の人物を演じる場合、事前にその人物に関する書籍を1冊だけ読み込むようにしており、制作側から指定がなければ自身で選定するようにしている。これは複数の書籍を読み込む時間が取れないことと、芝居に関する統一感がなくなることを防ぐためであり、その1冊の中から演技に必要なものをピックアップすることで、演じる人物像の構築をする作業を必ず行っている。大河ドラマのデビュー作となった『花神』で沖田総司を演じた際は、事前に早乙女貢の『沖田総司』を上下巻読破し、後にこれを知った早乙女本人から激賞されたことがある[24]。
人物・エピソード