森田芳光
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1984年丸山健二原作、沢田研二主演の『ときめきに死す』を経て、薬師丸ひろ子主演の『メイン・テーマ』が大ヒットした。

1985年に、松田優作主演で、夏目漱石それから』を映画化した。再びその年の主要映画賞を独占し、それまでの異色作路線とは異なって格調高い文芸大作であったこともあり、幅の広さを示して映画界での地位をさらに高めた。

1986年、『それから』から一転、とんねるず主演で広告代理店を描いたコメディーの怪作『そろばんずく』を発表した。バブル時代を色濃く描いた作品となった。

1989年に、吉本ばなな原作の『キッチン』を映画化した。大ベストセラー小説を原作としたにもかかわらず、興行的に大敗する。しかしビデオの売り上げは好調で、隠れた名作として愛されている[7]。『キッチン』が興行的に失敗したことについて、「(原作がベストセラー小説であるので)あんなに(客が)入らないと思わなかったよね(笑)」[7]「修羅場」[8]と後に回想している。
映画づくりへの迷い

1990年代前半は、監督するよりもシナリオ執筆や競馬エッセイの連載などの活動を優先した。映画づくりに迷いを感じており、競馬評論家への転身も考えたと後年のインタビューで回想している[7]。競馬では社台レースホースの会員でもあり、リアルバースデー(1989年東京優駿2着)の一口馬主でもあった。
作品発表の再開

1996年に、数年の沈黙を破って、パソコン通信による男女の出会いを描いた『(ハル)』を発表する。興行的には不入りだったが、評価は高かった。

1997年5月に、渡辺淳一失楽園』を、役所広司黒木瞳の主演で映画化した。人生に疲れた中年男女が不倫の果てに心中するというストーリーで、R-15指定を受ける。結果的に観客動員数が200万人を超える大ヒットとなり、「失楽園(する)」という言葉はこの年の流行語年間大賞[9]にもなった。

1999年に、『39 刑法第三十九条』、貴志祐介原作の『黒い家』と、自身のキャリアにおいて初のサスペンスを発表する。

2002年に、宮部みゆきの大ベストセラー小説を原作とした、中居正広主演のミステリー『模倣犯』を撮った。興行的にはヒットしたが、全編にわたって独自のメディア論を展開したため、純粋なサスペンスを期待した原作者および原作ファンの怒りを買った[7]

2003年11月に、向田邦子脚本のテレビドラマ『阿修羅のごとく』を映画としてリメイク、4人姉妹のそれぞれの複雑な色恋を描いた。大竹しのぶ、黒木瞳、深津絵里深田恭子八千草薫桃井かおりと豪華な女優陣が結集している。

2004年11月に、伊東美咲主演の『海猫』を発表した。北海道の田舎の漁師の家に嫁いだ女が、夫の弟との密通の果てに自殺するという、破滅的な恋愛を描いた作品である。伊東の演じた激しいベッドシーンをはじめ激しい性描写など青少年に有害な表現が多数指摘され、R-15指定を受けた。

2007年12月1日に『椿三十郎』が公開された。黒澤明監督のオリジナル版(1962年)を、同じシナリオを使ってリメイクした作品である。
死去

2011年12月20日C型肝炎による急性肝不全で死去した[10]。61歳没。墓所は文京区善仁寺。法名は「常然院釋芳映(じょうねんいんしゃくほうえい)」。

2012年3月24日に公開された、瑛太松山ケンイチ主演の『僕達急行 A列車で行こう』が森田の遺作となった。幼少の頃から好きだった鉄道を題材に、オリジナル脚本でメガホンを執った作品で、使用された車両20路線80車両は「邦画史上最多」であるという[11]

2021年、『そろばんずく』以外の全監督作品を収録した『生誕70周年記念 森田芳光 全監督作品コンプリート(の・ようなもの) Blu-ray BOX』が日活から発売された。
エピソード
影響を受けた作品・書籍


マーシャル・マクルーハンの『メディア論』を読み、大きな影響を受けたという[1][12]

印象に残っている映画として『激突!』『暗殺の森』を挙げている[12]

作品へのスタンス


自身の映画づくりのスタンスについて、「何を描いたのではなく、どう描いたかが大事だ」と[13]

映画のテレビ放映が時間枠の都合でカットされることを嫌い、かつて『家族ゲーム』がテレビ初放映された際[14]には、一番の見どころであり、視聴者も期待していたであろうクライマックスの食卓バトルのシーンを丸ごとカットしてこれに抵抗した[7]

人間関係


音楽の大島ミチルとは、『失楽園』『模倣犯』『阿修羅のごとく』『間宮兄弟』など多数の作品で組んでいる。森田によると、大島とのやり取りは毎回「人に見せられないようなシビアな戦い」であるという[15]

漫画『松田優作物語』(宮崎克高岩ヨシヒロ作、『ヤングチャンピオン』連載)によると、『家族ゲーム』以来の森田&松田の次回作の企画段階で、映画の題材のアイデアがなかなか出ず、苛立った松田が森田に言いがかりをつけた際、森田は「お前なんかピストルで撃ち殺してやる!」と絶叫し、その言葉があまりにもナンセンスだったことで松田は吹き出してしまい、イザコザが収まったという。

作品
監督

映画(1971年) - 監督・撮影・編集・出演
[3]

遠近術(1972年) - 監督・撮影[3]

水蒸気急行(1976年) - 監督・撮影・編集[4]

ライブイン・茅ヶ崎(1978年)- 監督・脚本・撮影・編集[4]

劇的ドキュメント レポート'78?'79(1979年) - 構成・演出

の・ようなもの(1981年)- 監督・脚本 ※劇場用映画監督としてのデビュー作

シブがき隊 ボーイズ & ガールズ(1982年)- 監督・脚本

(本)噂のストリッパー(1982年)- 監督・脚本

ピンクカット 太く愛して深く愛して(1983年)- 監督・脚本[注 1]

家族ゲーム(1983年)- 監督・脚本

ときめきに死す(1984年)- 監督・脚本

メイン・テーマ(1984年)- 監督・脚本

それから(1985年)

そろばんずく(1986年)- 監督・脚本

悲しい色やねん(1988年)- 監督・脚本

愛と平成の色男(1989年)- 監督・脚本

キッチン(1989年)- 監督・脚本

おいしい結婚(1991年)- 監督・脚本

未来の想い出 Last Christmas(1992年)- 監督・脚本


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