2023年12月27日、ステージ4の膵臓がんであると公表した[11]。ガン公表を進言したのは息子の康平である。週刊女性PRIMEのインタビューによると「当初、すい臓がんステージ4と医師に診断されたものの、「原発不明がん」の結論に至り、ゆえに大もとのがんをやっつける抗がん剤は見送りに。がん免疫療法薬のオプジーボを投与しつつ、自身の免疫機能を強化してがん細胞と戦っているということ」と語っており、ステージ4の膵臓がんではなく、原発不明がんであると明かした[12]。
2024年4月9日に公開されたインタビューでは以下の通り説明している。体調は戻ったが、体力は戻らず階段は10段ずつしか上がれず、要介護3である。結婚後41年だが、妻とこれほど一緒にいたのは初めてで新婚気分である。働きづめで1日22時間労働の時もあり、働き方改革の真逆であった。7-8年前に糖尿病を患い、その後検査を続けていたが、体重の減少が顕著であったため、人間ドックを受けた2023年11月にがんが見つかり、最初の診断で「来年のサクラは見られない」と宣告された。その際、動揺はなかったが「どうやって後始末をつけるか」(書きかけの著書のことなど)を考えた。決断したのは「とにかく権力と戦う」ということであった。ペット検査での診断結果では胃と膵臓のがんの原発が疑われたが、生体検査や内視鏡ではどちらもがん細胞が見つかなかったものの、主治医の診断は「すい臓がんステージ4」であり、見えない原発巣が膵臓にあるだろうというものだった。セカンドオピニオン、サードオピニオンの結果も同じであった。12月末ごろにこの結果をもとに「アブラキサン(パクリタキセル)」ほか2種類の抗がん剤を投与したが、直後急速に体調が悪化し、「三途の川が見えた」。点滴で「栄養剤らしきもの」を投与され、それが劇的に効いた。その後、アメリカの血液でのがん遺伝子パネル検査
(遺伝子検査)の結果、95%はすい臓がんではないと判明。腫瘍マーカーでもすい臓がんの反応がなくなっていた。では、どこにがんがあるのかを医者に聞いたが「全くわからない」レアケースである「原発不明がん終末期」と診断され、抗がん剤を打てない状況となったが、このケースではオプジーボが保険で打てる状況となり、同時に「免疫細胞療法」を受けた。妻とは終日一緒にいるが、ほぼ菜食主義の妻と肉食の森永では全く好みが異なり、食事は別に作っている。長男康平は機械音痴でペイペイすら使えないほどで、また「オタク心」は全くわからず、次男に口述筆記を依頼していること、自身が運営する博物館は、次男に任せていること、初めて家族で花見をする予定になっていること、煙草は1日1本にしていることなどを語った[13]。