森口博子
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2017年開始の番組『Anison Days』ではMCとともにアニメソングの紹介、歌唱を行っている。

2019年8月7日に「ガンダムシリーズ」の主題歌やエンディングテーマなどのカバーアルバム『GUNDAM SONG COVERS』を、2020年9月16日に第2弾となる『GUNDAM SONG COVERS 2』、2022年3月9日に第3弾となる『GUNDAM SONG COVERS 3』をそれぞれ発売しヒット(後述)。
2020年代

2021年8月4日、24年ぶりのオリジナルアルバムとなる『蒼い生命』を発売[注釈 6]。同アルバムの新曲は全て、森口が作詞に携わっている[15]
エピソード
子供時代

4歳の時点で既に将来の夢は、歌手になることだった[5]。本人によると、幼稚園児の時に地元テレビ局ののど自慢番組で麻丘めぐみの「芽ばえ (曲)」を歌唱。5歳で全国放送の『ちびっこものまね紅白歌合戦[注釈 7]に初出場したのを皮切りに小学6年生までほぼ毎年出場し、当時人気だった70年代女性アイドル[注釈 8]の歌を歌った。当時は出演のたびに福岡から上京しては中野サンプラザのステージで生バンドの演奏で歌い、観客の拍手に包まれる快感を覚え「私の居場所はここだ、絶対に歌手になる」と決意を固くしたという[5]。本人は、この頃のステージ歌唱を“ライブの原体験”と位置づけている[注釈 9]

小学生の頃からボイストレーニングやダンスレッスンに通い出し、その後生徒の中でも優秀だったことから特別に月謝が免除になり家計が助かったとのこと。小学生時代にテレビの歌番組に何度か出た経験から歌には自信があり、中学生になるとクラスメートから色々と「あの歌を歌って」とせがまれては教室で上機嫌で歌っていた[6]。しかし、後日オーディションを受け始めると落選が続いたことで、初めて「あ、私って大したことなかったんだ」と気づいたという[6]。ちなみにこの頃書いていた日記の内容は、オーディションの落選続きに対する苦悩がほとんどだったという[注釈 10][9]
不遇な高校時代

本人は『Zガンダム』の主題歌で歌手デビューできたこと自体は喜んだが、同時に「当時の私は、王道のアイドルとは少し違う扱いでした」と回想している[注釈 11]。森口によると「当時期待されていたアイドルは春にデビューすることが多かった」とのことで、期待された他のアイドルと違い彼女はデビューが8月でプロモーションの時期もズレていたとしている[10]

また、森口によると当時の芸能事務所やレコード会社には、『この子に(社運を)賭ける』というような一押しの歌手が一人いたとしている。しかし森口の場合、事務所には同期の松本典子、レコード会社の同期には中山美穂[注釈 12]がいて、「私はどっちの会社でも“一番”じゃなかった」と回想している[注釈 13]

福岡の高校から転校した堀越高校の芸能コースでは、荻野目洋子、武田久美子、井森美幸と同じクラスに転入した[7]。その後、仕事が忙しく学校を欠席することが多い荻野目たちに比べて、森口は仕事が少なすぎて皆勤賞になりかけるくらい毎日学校に通っていた。自分だけ学校にいるのが辛くなり、時には嘘の早退届を出して仕事に行くフリをするなど惨めな思いもしたという[注釈 14]

ただし、そんな状況でも当時は福岡に帰りたいと思ったことは一度もなく、後年「人前で歌いたい一心だったし、(レコードデビューはしたもののまだまだ知名度は低く)スタートラインにも立ててないと感じていた。とにかく“チャンスさえもらえたら”と思い続けていた」と回想している[7]
バラドルとして

バラエティ番組には当初乗り気ではなかったが、「とにかくまずは名前と顔を覚えてもらって、いつか絶対に歌につなげるんだ」と覚悟を決めて臨むようになったという。その後、だんだんバラエティの仕事における楽しさややりがいを感じるようになり、1987年くらいから徐々にバラドルとして活躍し始める[12]

特に1991年頃は多忙を極め、時には移動時間が含まれていないスケジュールがあったり[注釈 15]、全ての収録を終えて家に帰っても寝る時間がほとんどなかった[注釈 16]。また、1992年に『夢がMORIMORI』が始まった時は多忙により体調が不安定なことが多かったとのこと[注釈 17][注釈 18]

本人は後年「(バラエティ番組出演という形で)チャンスを下さったスタッフやテレビ局の方には本当に感謝してします。あの時名前と顔を覚えてもらったから、今でも大好きな歌が歌えている部分は間違いなくあります」と感謝を述べている[10]
歌手としての転換期

2015年のシングル「星より先に見つけてあげる」をリリースした頃から、ネットで「森口博子がスゴい」、「歌唱力に磨きがかかってる」などの声が上がったという。これについて森口は、2007年に『タイタニック』でミュージカルに初挑戦したことがきっかけで歌い方が変わり、歌手としての大きな転換期になったとしている[16]

『タイタニック』ではオペラを基調とした曲が使われ、共演者のほとんどがミュージカル経験者だった。そんな中、ポップス出身の森口は稽古中何をやっても、外国人の演出家から「ノーノーノー!」、「キルユー!」などとダメ出しをされ続けた。その稽古中、風邪をひいてしんどかったため念のため病院で血液検査をした所、血液中のストレス数値が“プロボクサーの試合直前の極限状態”ぐらいあり、医者から「相当ストレス抱えてますね」と言われたという[16]

本作の稽古は大変ではあったが、演出家から歌い方に徹底的なダメ出しをされ、ボイトレにも以前より真剣に通うようになった。これらのおかげで声の幅や表現力が目に見えて変わったことが自信にも繋がり、以前に増して周囲から好評価を得ているという[注釈 19]
ガンダムソング関連

『ガンダム』シリーズ作品の主題歌やテーマソングを年代ごとに歌唱を担当(シングル発売)している(10代「水の星へ愛をこめて」、20代「ETERNAL WIND」、30代「もうひとつの未来 ?starry spirits?」及び「それでも、生きる」(ゲーム『SDガンダム GGENERATION SPIRITS』のOPとEDの各テーマソング)、40代「宇宙の彼方で」(劇場版『機動戦士ガンダム THE ORIGIN W 運命の前夜』の主題歌)、50代「Ubugoe」(劇場版『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』主題歌)[17])。後年「世代も国境も超えるアニソンは私にとって永遠の宝物。ガンダムファンのみんなと繋がることができて幸せ!」とコメントしている[18]
デビュー曲「水の星へ愛をこめて」

10代の頃に先述の歌番組『勝ち抜き歌謡天国』に出たことで、レコード会社から機動戦士Zガンダムの主題歌「水の星へ愛をこめて」のオーディション参加に誘われた。そのオーディション時、キングレコードのディレクターから「声がすごく良かった」とスカウトされて所属が決まった[注釈 20]

「水の星へ愛をこめて」のレコーディングは、転校前だったため福岡の高校に通いながら行った。この時、ディレクターから「この曲は上手に歌おうと思わなくていいからね。言葉を大切に語尾を大事に歌ってほしい。君が大人になって何十年経っても歌える歌だから」と助言された[注釈 21]。そのディレクターは40代で亡くなってしまったが、森口は今(2021年9月)もこの曲を歌うたびにレコーディング時のやり取りを思い出すとのこと[9]

その後同曲は、2018年5月5日にガンダム40周年を記念してNHK BSプレミアムで放送された、『発表!全ガンダム大投票』のガンダムソングス部門で1位を獲得[19][注釈 22]
「ETERNAL WIND?ほほえみは光る風の中?」

バラドルで人気タレントとなった後の1991年に、「機動戦士ガンダムF91」の主題歌「ETERNAL WIND」でオリコンシングルチャート最高9位になり自身初となるオリコン週間チャートでベスト10入りした。その後27週にわたってベスト100以内に留まり、年間ランキングでも47位に入った。

同曲で『紅白歌合戦』に初出場を果たすと、視聴者から「森口博子って歌手だったんだ」という反響が大きく、本人は後年「(デビューから7年目にして)この時やっと歌手としてのスタートラインに立てたと実感しました」と述べている。この時の紅白では、「ETERNAL WIND」の歌詞を少しだけ間違えている[注釈 23]

その後同曲は、先述の『発表!全ガンダム大投票』のガンダムソングス部門で3位にランクインしている。
「宇宙の彼方で」


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