梅田貨物駅
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4月1日:国鉄分割民営化により、日本国有鉄道清算事業団が土地を承継、営業は日本貨物鉄道が承継した[2]。同年、移転・売却が決定した。

11月:ピギーバック輸送開始[2]


1994年平成6年)9月4日:梅田貨物線に関空特急「はるか」が運行開始。

2000年(平成12年)

3月:2号ホーム撤去[2]

8月:1号ホーム撤去[2]


2001年(平成13年)11月:構内にあった梅田貨車区を吹田機関区へ移転統合[2]

2005年(平成17年)7月:先行区域の更地化着工[2]

2008年(平成20年)3月:先行区域更地化完成[2]

2012年(平成24年)3月:紙専用車扱列車をコンテナ化[2]

2013年(平成25年)

3月16日:吹田貨物ターミナル駅、百済貨物ターミナル駅へ機能を移転し梅田駅への貨物列車設定を廃止[2]

4月1日:梅田駅廃止[2]。残された行き違い設備はJR西日本に移管、西九条駅管理梅田信号場となる。


2019年令和元年)

梅田貨物駅跡地で梅田貨物線の地下駅である北梅田駅(仮称)が着工される。


2020年(令和2年)

3月25日:北梅田駅(仮称)が大阪駅の地下ホーム(うめきたエリア)となることが発表される[7]


2023年(令和5年)

2月12日:梅田貨物線の地下線への切り替えに伴い、この日を以って梅田信号場は使用停止。

2月13日:梅田貨物線を地下線へ切り替え。大阪駅地下ホーム(うめきたエリア)開業までは、同ホームを信号場と同じ扱いで運用する。

3月18日:大阪駅地下ホーム(うめきたエリア)開業。特急「はるか」・「くろしお」とおおさか東線の列車が同ホームに発着。


梅田貨物駅新3号プラットホーム(丸ルーフの貨物上屋

この駅は「梅田駅」が正式名称だが、阪急電鉄阪神電気鉄道地下鉄御堂筋線梅田駅などと区別するため、梅田貨物駅、梅田北ヤードとも呼ばれていた。営業当時は一部のコンテナ車の常備駅に指定され、常備貨車にはJR貨物関西支社梅田駅を意味する「西ウタ」と表記されていた。

駅敷地の再開発計画に伴い、2013年3月16日のダイヤ改正より梅田駅の機能は関西本線百済駅(百済貨物ターミナル駅に改称)と東海道本線吹田操車場跡地に新設された吹田貨物ターミナル駅に移転され、同月末日を限りで廃止された[2][8]。その後の跡地は、商業施設グランフロント大阪」及び「グラングリーン大阪(建設中)」として活用されている。

なお移転に伴う問題については大阪駅北地区#貨物機能移転問題を参照のこと。
駅構造

地上駅で、2013年の運用終了直前の時点では到着線2本、着発線4本、出発線4本、荷役線10本、コンテナホーム3面、敷地面積は17ヘクタールであった[2]

1968年(昭和43年)9月に建設された駅舎は老朽化が進んでいるが、移転が決まっていたので改修はなされなかった。そのため、所々傷みが出てきており、特に9月前後は台風などにより被害を受けている。駅舎のほか、駅構内にはJR貨物の大阪営業支店が設けられている。

新3号プラットホームの上屋は、延長220メートル、スパン61メートルにもおよぶ巨大なもので、ダイヤモンドトラス工法を用いて内部に柱を一切設けない構造で1960年(昭和35年)10月に完成した。南側50メートルは先行工事に伴い撤去されているが、完成から50年を経てもなお建築関係者が見学に来ることがある構造物である[2]

かつてはさらに規模が大きく、道路を踏切で横断して大阪駅高架下を抜けた場所にも5面7線のコンテナホームが1982年まで存在した。またここから分岐して大阪中央郵便局への引き込み線も延びていた。この場所を指して通称梅田南貨物駅と呼んでいた。大阪貨物ターミナル駅に機能を移行して梅田南貨物駅は廃止となり、跡地はオオサカガーデンシティとなっている[9]。なお、この箇所は初期の大阪駅貨物施設の跡で有るだけでなく、明治初期に存在した安治川駅への貨物線の代替となる淀川から引き込んだ堀が有った箇所でもある。

梅田駅駅舎(2007年12月)


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