梅田晴夫
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^ この評論は、梅田が初めて自分で購入した万年筆(パーカー社製)で書かれた。(出典:『万年筆』 平凡社 1978年)
^ 梅田は生涯に6度結婚したが、それについては「私はフェミニストのくせにわがままだった。」と著書『嫁さんをもらったら読む本』 (日本実業出版社 1980年)で述懐している。
^ 出典:『阿波多羅』第二集 重田哲三著 私家版 1983年(大和株式会社 HP)
^ 当日の同時上演作品は田中千禾夫の『笛』と岸本王晴の『冬物語』。
^ 一般向学者のための演劇講座。「梅田ビル」を会場とし、勤労者に配慮して夜間に開講した。受講者のなかには後に劇団四季で活躍することになる藤野節子も含まれていた。(出典:『作曲家・武満徹との日々を語る』 武満浅香著 小学館 2006年)
^ 『伊豆の踊子』は結局松竹で映画化されたため、梅田の脚本は使用されなかった。なお、この脚本は梅田の著書『シナリオの工夫』 (室町書房)と、『シナリオを書こう?映画・テレビ・ラジオ』 (華書房)に収載されている。
^ 1950年代の梅田は多忙を極め、梅田曰く“使い棄てのティッシュペーパーのような放送ドラマ”の脚本を平均して1ヶ月に400字詰め原稿用紙200枚を執筆し過労と深酒により結核に患り、数ヶ月病臥したこともある程であったが、書かれた作品の実数、内容については不明な点が多く、脚本家としての梅田の仕事の全貌をつかむことは困難である。また、この時期、梅田は「チャッカリ夫人とウッカリ夫人」の原稿料で、喜劇俳優、古川ロッパから40本の万年筆を買い取り、自身の万年筆コレクションの礎を築いた。(出典:『万年筆』 平凡社 1978年 / 『嫁さんをもらったら読む本』 日本実業出版社 1980年)
^ 梅田は、道玄坂(旧:大和田町92)にあったフランス料理店『二葉亭』の三階に間借りしていた。(出典:月刊『暮しの創造』(8)春号 特集:木の話 創芸出版社 1979年)
^ 万里陽子の代表的な映画出演作には東宝から1956年(昭和31年)に公開された、『吸血蛾』(原作:横溝正史、監督:中川信夫、出演:池部良久慈あさみ東野英治郎ほか)、『ある女の場合』(原作:飯沢匡、監督:瑞穂春海、出演:池部良、原節子司葉子ほか)、『兄とその妹』(脚本:島津保次郎、監督:松林宗恵、出演:東山千栄子村瀬幸子宮口精二ほか)などがある。なお、万里は梅田との結婚を機に女優業から引退した。
^ 望夫の名前は、望月の頃(8月)に誕生したことから梅田が命名したという。(出典:『西洋エスプリ大法典?心の贅沢・知識の泉』 (青也書店 1977年)
^ 梅田は、この時の体験をもとに、著書『ワルイ日本人 うまい話はザラにない』 (オリオン社 1965年)を書いている。
^ 梅田ビルは恵比寿(渋谷区東二丁目24-6)にあった。その地下には「古典屋」というアンティーク・ショップがあり、梅田のアンティーク・コレクションのいくつかはそこで求められた。なお、古典屋の店主である赤羽勲は梅田が創刊した雑誌『アンティック情報』の編集主幹を務めた。
^ 雑学の会の具体的な活動内容については記録がなく、詳細は不明であるが、梅田は後年、この会で収集した雑学をもとにした著作を数多く残しており、なかでも『ひまつぶしの本』(ベストセラーズ 1974年)は梅田の代表作のひとつに数えられている。ちなみに、現在『雑学倶楽部』として活動している団体は梅田とは関りがない。
^ 梅田が書いたゲーム関連書は日常的に入手できる小物を用いたパーティーゲームを主体にしたものである。
^ この時期、梅田が短期間に多数の著書を執筆した理由は、自身が興した出版社の倒産で抱えた約5000万円の負債を清算するためであった。(出典:『THEウイスキー』 読売新聞社 1975年)
^ 梅田がアンティーク・ショップ「古典屋」の店主、赤羽勲と共同で発足した会員制のアンティーク交換会で、会員が品物を持ち寄り展示即売を行なうものであった。発足から7年後の1979年(昭和54年)8月に会の名称を「EYE(アイ)の会」に改称し活動していたが、現在では解散している。(出典:『アンティック情報』NO.14 アンティック社 1979年)
^ 推定だが、1973年(昭和48年)から翌年にかけて、一家4人でパリをはじめとするヨーロッパに旅行。1975年(昭和50年)の11月には、月刊誌『太陽』の記事執筆のため、デンマークのコペンハーゲン、フランスのパリ、イギリスのロンドンを楽旅した。大のダンヒル党であった梅田は、ロンドン滞在中に訪問先のダンヒル本社でオリジナル・ブレンドのパイプたばこを購入。ダンヒルでは購入者に顧客番号が付けられるが、梅田の番号は“365?25”で、購入したたばこの配合処方は“マイ・ミクスチュア10”を四分の一ポンドと、“マイ・ミクスチュア965”を四分の三ポンドずつブレンドしたものであった。(出典:『太陽』NO.154 特集:能・世阿弥の生涯 平凡社 1976年)
^ 『アンティック情報』の編集同人は梅田のほか、赤羽勲、池田圭、兼松美枝子、木村俊雄、坂本曠之輔、斉藤智、豊岡博幸、新田浩、畠山滋の10名。本誌は当初梅田が発行人をつとめたが、発起人のひとりである赤羽勲の死去に伴い、1977年(昭和52年)以降は坂本曠之輔が後任となった。なお、梅田は同誌にいくつかの記事を寄稿し、亡くなるまで編集アドバイザーを務めた。
^ 梅田が1970年代にプラチナ萬年筆株式会社と共同開発した手作り万年筆。梅田の約1000本のコレクションから、特に優れた12本の万年筆の長所を合わせて設計され、開高健など、1日30枚以上の原稿を執筆するヘビーライターとして知られた50名の作家の協力を得て、試作、試用を積み重ねて1978年12月に完成した。この万年筆はモンブランに対抗して、富士山の標高に因み、「プラチナ#3776」と命名された。軸の直径は13mm。キャップを外して軸にはめた全長は約160mm。ペン先の長さ22mm。重心点は軸の中心からやや後方の56?57%の位置。ペン先は14金、ペン芯にはエボナイトが使われ、カートリッジ・インク対応。ペン軸にはウォーターマン社のハンドレッド・イヤー・ペンをモデルにしたギャザー(襞)が入れられ、長時間使用しても熱がこもらない仕組みになっていた。プラチナ#3776はすべて手作りのため製造コストが嵩み、1990年代以降はしばらく製造中止となったが、2005年(平成17年)に生産を再開。現在はペン軸にパイプの素材としても知られるブライヤ材を使用したものや、蒔絵を施した高級品も製造販売されている。
^ 出典:『博物蒐集館・万年筆』 青土社 1979年
^ プラチナ#3776は、同時代の作家では向田邦子などが使用、後掲書に写真で紹介されている。(出典:『向田邦子ふたたび』 文藝春秋 1986年)
^ 他の執筆者は巖谷大四、川口博之、近藤富枝野田宇太郎、平山信義。
^ 梅田の万年筆コレクションと愛用の机は、政江夫人によって、慶應義塾大学三田メディアセンターと、生前から親交があった作家の山口瞳にそれぞれ寄贈された。(出典:『とっておきのもの とっておきの話』第3巻 アミューズ・ブックス 1997年)
^ a b 『未来劇場23 未知なるもの』 未來社 1954年
^ 梅田の著書『パイプ 七つの楽しみ』 (平凡社 1976年)には、「女が物の装飾的側面のみに関心を持つのは女が○○だからだ」という記述がみられる。
^ パイプ愛好者の団体『日本パイプスモーカーズクラブ(JPSC)』の会員は、同人発行の書籍『パイプ大全』 (森林書房 1978年)のなかで、梅田が翻訳した『パイプの本』の誤謬を指摘したほか、梅田の女性観への非難ととれる発言を寄せている。
^ ダン・ヤダ・ダンサーズは、舞踏家・演出家の矢田茂が率いる団体で、当公演には服部良一岡本太郎南里文雄らが制作に携わっている。
^ 劇中、「料理のうまい女の亭主は生涯浮気をしない」という科白があるが、梅田は晩年の著作『嫁さんをもらったら読む本』(日本実業出版社 1980年)にも同じ主旨のことを書いており、これは梅田が生涯持ち続けた人生観と思われる。(出典:『未来劇場23 未知なるもの』 未來社 1954年)
^ 多趣味で知られた梅田は、一時期、キングハルオーというアラブ系の競走馬を所有しており、たびたびレースにも出走。第24回読売カップでは優勝している。ちなみに、その時の梅田のオッズは76倍であった。(出典:『おかしな世界一 珍記録に挑戦する』 ベストセラーズ 1975年)
^ 現在、梅田の著書はほとんどが絶版となっている。
^ このラジオドラマはNHKラジオ小劇場で1950年(昭和25年)6月29日に放送された。(出典:『ラジオ小劇場脚本選集』第3集 日本放送協会編 宝文社 1951年)
^ このラジオドラマはNHKラジオ小劇場で1950年11月9日に放送された。(出典:『ラジオ小劇場脚本選集』第3集 日本放送協会編 宝文社 1951年)
^ このラジオドラマはNHKラジオ小劇場で1950年12月21日に放送された。(出典:『ラジオ小劇場脚本選集』第3集 日本放送協会編 宝文社 1951年)
^ 本作品は、市川三郎、大村一平、菜川作太郎、佐々木恵美子、中江良夫、南達夫、吉田みきとの共同執筆によるもので、市川、菜川、佐々木、中江、吉田の執筆分は、英宝社と日本出版協同より書籍化されている。
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