うめみや たつお
梅宮 辰夫
国際情報社『映画情報』第27巻11号より
本名梅宮 辰雄
生年月日 (1938-03-11) 1938年3月11日
没年月日 (2019-12-12) 2019年12月12日(81歳没)
出身地 満洲国 浜江省ハルビン市[1](現:中国黒竜江省ハルビン市)
身長174 cm
血液型A型[2]
職業俳優
タレント
実業家
活動期間1958年 - 2019年
活動内容映画
テレビドラマ
バラエティ番組
配偶者梅宮クラウディア
著名な家族梅宮アンナ(娘)
梅宮百々果(養子、元孫)[3]
梅宮万紗子(姪)
梅宮亜須加(姪)
主な作品
映画
『夜の青春シリーズ』
『渡世人』
『夜の歌謡シリーズ』
『不良番長』シリーズ
『帝王シリーズ』
『昭和極道史』テレビドラマ
『前略おふくろ様』
『新・夜明けの刑事』
『明日の刑事』
『江戸プロフェッショナル・必殺商売人』
『大激闘マッドポリス'80』
『特命刑事』
『スクール☆ウォーズ』
『カミング・ホーム』
『おばさん会長・紫の犯罪清掃日記!ゴミは殺しを知っている』シリーズ
『箱根湯河原温泉交番』シリーズ
『女かけこみ寺 刑事・大石水穂』シリーズ
『やすらぎの刻?道』バラエティ
『くいしん坊!万才』 6代目レポーター
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梅宮 辰夫(うめみや たつお、1938年〈昭和13年〉3月11日[2] - 2019年〈令和元年〉12月12日[4])は、日本の俳優、タレント、司会者、実業家。娘はモデル・タレントの梅宮アンナ。
生涯
生い立ちが陸軍士官学校卒業後日露戦争に従軍[5]。妻とともに満洲・奉天市に移住[5]。辰次郎は関東軍参謀・板垣征四郎とも懇意の仲で、祖父の葬儀では板垣が弔文を読んだ。辰次郎の次男で父の次郎は同地で生まれ[5]、満洲医科大学を卒業し医師となった後、満州国ハルビン特別市で満鉄病院に勤務していた[5]。梅宮のほか弟と妹それぞれ2人ずつおり、5人兄弟の長男である[6]。一家はその後、次郎の異動により開原市(現中華人民共和国遼寧省)に移住[5]、同地で太平洋戦争終戦を迎え、1946年に他の引揚者らとともに信濃丸で博多港に帰国[注釈 1]。
満洲から帰国して半年後に茨城県水戸市の病院に職を見つけた父とともに一家で移住。小学校・中学校は1クラスだったが、小学4年から中学3年までの6年間はずっと番長で[7]、生徒会長にもなり[7]、女生徒からも人気があったという[7]。茨城弁は訛りがキツくて嫌いで、水戸時代も茨城弁は一切使わず、東京弁で通した[7]。茨城大学教育学部附属愛宕中学校では陸上競技をしていた。同校の後輩にはジャーナリストで評論家の立花隆がおり、立花とは後年、テレビ番組の企画で共演している[8]。水戸移転から10年後、高校から[7]、近くに親戚のいた品川区戸越銀座へ移住する。戸越銀座移転後、実家は内科・小児科を診療科目とする梅宮医院を開業、辰夫は跡継ぎとして期待されていたが[9]、早稲田高等学校を経て[7]、医学部を受験するも不合格となったため[7]、浪人するのが嫌で、日本大学法学部に入学(後に中退)[7]。早稲田高校時代に剣道部を創設し[7]、喧嘩三昧[7]。高校までは硬派で、大学2年までは童貞だったという[7]。筆下ろしの相手はキャバレーのホステスで、銀座三丁目の寿司屋「江戸常」で逆ナンされた[7]。
大学在学中、日東紡でモデルのアルバイトなどもしていて[10]、その「江戸常」のゲイから東映ニューフェイス試験を薦められ[10]、1958年(昭和33年)、東映ニューフェイス5期生に合格[10][11]。