桜木町事故
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^ 当時はいたずら防止のため、故意に表示しなかった。
^ 戦前から省電の仕様は東京大阪で様々な相違があった。貫通路については東京が幌なし・内開き戸に対し、大阪は幌付き・引き戸となっていた。これは競合私鉄側に起因するもので、関西の私鉄は戦前既に新京阪鉄道P-6形電車に代表されるような、高性能かつ国鉄の客車列車並みの豪華な車両を投入していたため、国鉄は対抗上少しでもこれに近付けたいために貫通幌などの装備を行っていた。これに対し、東京では直接競合する京王電鉄京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)のいずれもが軌道線路面電車)発祥で、車両設備も軌道線車両のそれに準ずる程度のものだった。一方、同じ軌道線発祥の私鉄でも関西の阪神電気鉄道では車両規格こそ軌道線車両の規格ではあったものの、早くから車両同士を貫通路を介して通り抜けできるような構造になっていた他、先頭車の前面も貫通路付きにするといった装備も行っていた。
^ 電車へ電力を供給すること。
^ ただし、当時の国鉄において給電担当部署は実際の乗務担当を差し置いてダイヤや車両の配転に注文ができるほどの強い影響力をもっていた(101系の全電動車計画も給電側の反対で頓挫した)一方、それゆえに給電側のトラブルによって電車の運転に支障をきたす事象を「給電側の恥」と捉える風潮があった。このため、人為的に給電続行が判断されたのではないかとする説もある。『鉄道ピクトリアル』2005年1月(通算756)号 特集「国電一世紀」より。
^ 最初の衝突事故を起こした列車の乗客がドアコックを操作し、線路上を避難しているところへ別の列車が突入して多くの死者を出した[3]

出典^ 毎日新聞阪神版1949年9月28日朝刊2面『焔の満員電車¢魔驕@旧京阪線香里園で 百丗五名が重軽傷』
^ 岡本竹一郎 (1960). “桜木町事故は何を残したか?”. 鉄道電気 (鉄道現業社) 第13巻8号: 38. 
^ 佐々木冨康・網谷りょういち. 続・事故の鉄道史. 日本経済評論社 
^ 渡部史絵・花上嘉成(2021):超!探求読本 誰も書かなかった東武鉄道、p.140、河出書房新社
^ 生方良雄(2002):私鉄車両めぐり37 小田急電鉄、p.42 - 71、鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション第1号、電気車研究会
^ 14系客車など。

参考文献

出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2019年6月)


中川浩一「桜木町事故とモハ63形のかかわり」

電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2005年1月号 No.756 p64-p69


浅原信彦「桜木町事故報告書の謎 サハ78144と188はどちらが事故車だったのか」

ネコ・パブリッシングRail Magazine』2006年8月号 No.275 p114-p115


関連項目

鉄道事故

国鉄戦後五大事故

大邱地下鉄放火事件

類似した事故

根岸線架線断線事故 - 桜木町事故と同じ現場付近での架線断線(エアセクション)による事故。車両・人的被害は出なかった。

小田急線沿線火災事故 - 沿線の建物火災による飛び火によって車両の屋根が燃えたが全焼にはならず、人的被害も出なかった。


外部リンク

桜木町の列車火災 - 失敗知識データベース

国電空前の惨事 横浜 - NHK放送史(桜木町事故)※現代においては不適切な映像や表現を含む恐れがある為、閲覧注意










日本国有鉄道
歴史

前身

鉄道省樺太鉄道局

1940年代

公共企業体「日本国有鉄道」発足1949年

国鉄三大ミステリー事件(1949年)

1950年代

洞爺丸事故(1954年)

紫雲丸事故(1955年)

東京 - 大阪間3時間への可能性1957年

動力近代化計画1959年

1960年代

サンロクトオ1961年

通勤五方面作戦1964年


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