桓振
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果断で気性が荒く、品行は悪かった[1]。
桓玄は桓振の粗暴を嫌い、重用しなかった。桓振は「公(桓玄)は我を用いなかった。その結果が此度の敗戦である。我を前鋒に用いていれば、天下を定めることもできた」と嘆いた[1]。
酒食に溺れ、自分勝手に誅殺を行ったり、各所で暴虐無道な行為を繰り返した[1]。
桓振が淮南にいたとき、夜に寝台で寝ているとき、声が聞こえるとの事案が起こった。これを聞いた桓振は、声が聞こえる方へ向かった。火で照らして見てみると、そこには夥しいほどの血溜まりがあったという[2]。
家系
父
桓石虔
兄弟
桓洪
桓誕
桓氏 - 桓振の妹
脚注^ a b c 『晋書』巻74 桓振
^ 『太平広記』妖怪2
参考文献
『晋書』巻10、巻74、巻84、巻85、巻99
『資治通鑑』巻111、巻113、巻114
『太平広記』妖怪2
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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