桑谷夏子
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くわたに なつこ
桑谷 夏子
プロフィール
本名桑谷 夏子
[1]
愛称なっちゃん[2]
性別女性
出身地 日本東京都青梅市
生年月日 (1978-08-08) 1978年8月8日(45歳)
血液型O型[2]
身長148 cm[3]
職業声優
事務所フリー
公式サイト桑谷夏子オフィシャルサイト
活動
活動期間1998年 -
デビュー作女の子A(『彼氏彼女の事情[4][5]
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

桑谷 夏子(くわたに なつこ、1978年8月8日[1] - )は、日本女性声優東京都青梅市出身。フリー[6]
経歴
生い立ち

小学校の頃から国語の授業で音読が得意な子供だった[7]。皆恥ずかしがって嫌がったり、教師から目をそらしたりしていたなか、「面白いのになぁ」と思っていた[7]。教科書の音読で皆がつっかえながら読むのが不思議だった[7]。桑谷はすらすらと読めるほうだったため、「どうしてつっかえちゃうんだろう?」とそういう意味では何かを読んだり、表現したりすることは得意だったかも知れないという[7]。その頃、児童会役員をしていた関係で、マイクパフォーマンスをする機会も多くあり、それも楽しんでしていた[7]。しかしその当時はマイクパフォーマンスが楽しくて好き、という気持ち=演じたい、というわけではなかったという[7]

小学5年生の時に日のり子が『タッチ』の浅倉南、『らんま1/2』の天道あかねが演じていることを知って、その後は色々な作品を観るようになり、職業としての声優を意識し始めた[7]。しかし憧れの職業の一つという感じであり、小学校の卒業文集で絵本挿絵画家漫画家、声優という感じで3つの将来の夢を書いていた[7]

昔からイラストを描くことは好きで、大体はアニメ、漫画の模写であった[7]。クラスメイトに「絵を描くのが好き」、という人物が多かったため「絵を描くこと」=「オタク」とうけとられずに、純粋に「すごーい、上手!」という風に見てくれたため、たくさん描いては友人に見せていたという[7][8]

外で遊ぶことも好きで、スポーツも得意であった[8]。勉強はあまり好きではなかったが、体育は好きで、水泳、リレーの選手に選ばれ、運動で目立つ子供であったという[8]

通っていた小学校は、1年ごとに学芸会と展覧会をしていたため、演技を人前でする機会はその時くらいであった[8]。その時には、けっこうマニアックな役に挑戦していた[8]。オーディションで配役が決まるが、希望するのはヒロインではなく、ヒロインのお付きの婆のような、いつもとは違った表現を求められる役をやりたがっていたという[8]

一番好きなのは絵を描くこと、その次に好きなのは声を出して表現することだったが、歌だけは苦手であった[8]。子供時代には、カラオケが今ほど浸透しておらず、人前で歌う機会自体あまりなく、音楽の授業で1学期に1回、皆の前で歌を歌う試験だけは、緊張して嫌であった[8]。歌うこと自体は好きで、友人同士でリサイタルごっこのようなことをして遊んだりはしておたという[8]

小学校時代はバドミントン部、中学校に進学してからは水彩油絵だけではなくアニメのようなセル画を制作していたため、美術部に所属していた。

セル画を描いていた時は性格がおおざっぱであり、感性で描きたい方だったため、緻密に頭を使って計算しながら描くことが苦手だった[8]。そのため「アニメーターには絶対になれない!」と感じていた[8]。絵を描くこと自体は好きで美術の成績は良かったため、美術大学付属高校の受験をするために冬期講習にまで参加していた[8]。冬期講習に参加していたところ、「ああしなさい」「こうしなさい」という指導や、「抽象画とはこういうものだ」といった制約の元に絵を描くことが楽しいとは思えず、描いても面白くなかったため、普通の高校を受験した[8]。両親は、「そう思うなら、好きにしろ」という感じで、桑谷に任せてくれた[8]。「冬期講習に行きたい」という希望にも、「美術系に進むのを辞める」という進路変更にも「いいんじゃない」と受け入れて、2011年時点でも見守ってくれた母には感謝しているという[8]

中学時代の図書館に置かれていた神谷明の著書を読んで「だったらいい大学を出て、いい企業に勤めて、堅実な道を歩んだ方がいいのではないか」と職業としての声優を遠ざかっていた時期もあった[8]。しかし美術部にはアニメ好きな友人もたくさんいたため、その影響で中学3年生くらいまで見ていたという[8]

大学進学を目指せる環境で漠然と自転車で通える高校を選んだが、学力テスト直前で風邪を引いたこと、悲惨な点数を取って「もう勉強はいやだ! 好きなことをやろう!!」と思い、アルバイトを始める[9]

高校1年生の時は応援団を経験[9]。その頃、漫画家を目指し、2年生の時から2ヶ月に1本くらいのペースで、32ページから42ページくらいの作品を商業誌に投稿していた[9]。同学年で学生漫画家をしており、「やるだけのことをやって、芽が出なかったら早めに踏ん切りをつけて次にいこう」と賞を受賞もしながら投稿生活を続けて、高校3年生の1月に最初で最後の出版社持ち込みに挑戦[9]。しかし、持ち込んでもいても同じような結果しか得られなかったことから結局は断念[9]。卒業後、「自分がやってみたいことにチャレンジしよう」と声優を目指すことになった[9]。一度は断念していたが、「その世界へ何もチャレンジしないまま断念しまうのもな」と思うようになったという[9]。1、2年上の先輩たちが就職氷河期世代で、目の当たりにしていたため、「大学で4年の時間をかけても就職できるかどうかは賭けなんだな」、「同じ賭けをするなら、好きなことをして、自分に賭けてみたい」と思ったという[9]。『魔法少女リリカルなのは』シリーズのイベントでは、イラストを披露していたが、同席していた女性声優一同から「うまーい!!」と絶賛されたエピソードもある[10]

専門学校時代は午後のクラスに通っていたため、午前中にアルバイトをして午後は学校へ通っていた[4]

児童会をしていたり、応援団をしていたりと人前でパフォーマンスをすることには比較的慣れていたため、それほどは緊張していなかった[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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