妻はサザンオールスターズのキーボード・ボーカル担当の原由子[20]、姉は作詞家の岩本えり子[41]。 1978年にサザンオールスターズのボーカルとしてメジャーデビューを果たし、1987年に「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」でソロ活動を開始した。サザンとソロ活動を交互に行い、ソロとして「波乗りジョニー」「白い恋人達」「明日晴れるかな」などがヒットしている[42][43]。オリジナル・アルバムは1988年に『Keisuke Kuwata』、1994年に『孤独の太陽』、2017年に『がらくた』など計5枚、ベスト・アルバムは2002年に『TOP OF THE POPS』、2012年に『I LOVE YOU -now & forever-』、2022年に『いつも何処かで』など計4枚、ミニ・アルバムは2021年に『ごはん味噌汁海苔お漬物卵焼き feat. 梅干し』が発売されており[44]:168,174,176[45][46]、3時代および5年代[注釈 14]でアルバム首位の記録を持つ[47]。 楽曲のテーマは幅広く、ラブソング、エロティックな楽曲、生まれ育った茅ヶ崎および日本への強い愛情が表れた楽曲、世界平和などのメッセージが込められた楽曲、反戦歌、プロテストソング、応援歌、コミックソングやナンセンスな楽曲などが存在しており[48][49][50][51][52][53]、茅ヶ崎および日本への愛情や誇りを持つ姿勢に関しては後述の通り生まれ育ったことへの感謝の念や日本人としてのアイデンティティを語ったり[54][55][56][57]:52、古より伝わる日本語や日本の文化の大切さを説く言動をしたり[58][59]、国旗日の丸の掲揚および国歌「君が代」の歌唱といったパフォーマンスをライブで行ったこと[注釈 15]でも表れている[60][61]。楽曲・音楽性・功績はジャンルを問わず広範なミュージシャンから高く評価されている[62][63][64][65]。当初は歌詞の意味に特段のこだわりはなかったが、活動が続くにつれてファンや周囲の反応から心境が変化していき、洗練されたものになっていった[57]:79[66][67]:8。また、後述にもあるように当初は海外のロックやソウルミュージックの影響が強いソングライティングや歌唱法で知られていたが、次第に日本の伝統芸能や歌謡曲に対する研究の成果が現れ、そういった日本的な要素を積極的に取り入れるようになった[68]。Apple Musicからは「『がらくた』の時期には極めて洗練された日本語ポップスの境地へと到達している」と評されている[68]。 世界平和を希求したり[69][70]、戦時中の兵隊の苦悩や戦死者や遺族などへの思いを馳せた楽曲[注釈 16]を発表したり[71][72]、北朝鮮による日本人拉致問題や新疆ウイグル自治区騒乱の被害者の心情に寄り添う言動を行う[注釈 17]など政治的な側面が存在するほか[73][74]、エイズ啓発運動であるアクト・アゲインスト・エイズへの参加や、東日本大震災を含む様々な災害の被災地復興支援活動を行っており[注釈 18]、2022年には同級生のアーティストらと制作した楽曲「時代遅れのRock'n'Roll Band」で収益の一部をセーブ・ザ・チルドレンに寄付するなど、音楽活動を通して社会的貢献を行っている[18][77][80][53]。 自身について桑田は「僕は、男っぷりや人間性、社会性は他のミュージシャンに負けているかもしれない」と謙遜したうえで、これだけは譲れないアイデンティティとして音楽活動を行っている旨を述べている[81]。自身の音楽観について「言い訳が許されない音楽っていうのが一番正しい」と述べており、それは自身にとってはポップスであるとしている[82]。また、桑田は「楽曲というのはその時々の気分を反映したもの」といった持論を述べている[83]。 音楽活動においてソロ・サザンを問わず、メンバーやスタッフとの連携を大切にしており、ライブのリハーサルの際には誰よりも早くスタジオに入り、一人一人に挨拶をして回ることが語られている[84][85]。レコーディングの際には作ってきた歌詞がついていないメロディのみの曲をギターで弾きながらメンバーやスタッフに聴かせ、各自がコード、リズムパターン、フレーズ、各楽器の音色などを確認し、練習中に投げかけられるメンバーからの質問に丁寧に答え、桑田からもアレンジについての気づいた点を伝えていくなど、綿密な打ち合わせを行っている[86]。
概要
人物
音楽性「サザンオールスターズ#音楽性」も参照