1982年3月、原宿に「ピテカントロプス・エレクトス」開店、代表に就任。同店では、盟友中西俊夫率いるMELON、東京ブラボー、ショコラータ、ミュート・ビート、坂本龍一、高橋悠治などのライブ、高木完、藤原ヒロシによるDJプレイが披露され、また、ジョン・ライドン、クラウス・ノミ、キース・ヘリング、ジャン・ミッシェル・バスキア、ナム・ジュン・パイク、デヴィッド・バーンをはじめ海外からも数々のミュージシャン・アーティストが訪れるなど、その存在は以後の日本のストリート・カウンターカルチャーに多大な影響を与えることになる[2][3][4]。同年、ゲストミュージシャンとして高橋幸宏、細野晴臣、土屋昌巳、パーシー・ジョーンズを迎え製作されたMELONの最初のアルバム「Do You Like Japan?」[1]をプロデュース。
1984年、宮沢章夫・竹中直人・中村有志・いとうせいこう・大竹まこと・きたろう・斉木しげる・松本小雪と演劇ユニット「ドラマンス」を旗揚げし、メンバーとしてプロダクション人力舎に所属する。
1986年、日本音楽選曲家協会(略称:音選協)を設立、発起人代表を務める。1987年、クラブキング設立[5]。1988年、フリーペーパー「dictionary」 ⇒[2]を創刊[6]。90年代以降も、「RADIO HEAVEN」、「ブルー・フィルム」などの活動のほか、TBSにて放送された「大帝国劇場」のスーパーバイズ、その他、CD製作、イベントオーガナイズ、podcasting、ファッションショーの選曲・音楽監督、ラジオ・テレビ番組制作、映画音楽など、さまざまな手段で独自のコントや音楽・文化を発信し続けている。また、2001年のアメリカ同時多発テロ事件を機に発行された坂本龍一とML「suspeace」が監修する「非戦」に参加[7]、同じく坂本の呼びかけによる「Stop Rokkasho」[8]、およびmore treesプロジェクト[9]に参加するなど、社会問題や環境問題などへの発言も積極的に行っている。
2010年1月5日「桑原茂一のPIRATE RADIO」 ⇒[3](InterFM)放送開始。また2010年7月、東京都水道局出張所跡地(東京都渋谷区神南1[10])を利用し、"学ぶを遊ぶ - 働く大人が学ぶための「学校」= ART SCHOOL"のコンセプトのもと、さまざまな人材の交流と情報発信を目指して「ディクショナリー倶楽部 ART SCHOOL」 ⇒[4]を開校[11]。校長として茂木健一郎、またリリーフランキー、萱野稔人、ヒロ杉山、しりあがり寿、近田春夫、野崎良太、高橋健太郎など、各界著名人を講師陣として迎える。
脚注・出典[脚注の使い方]^ “ ⇒「これ、なんですか?スネークマンショー」桑原茂一2 監修 新潮社刊”. 2010年8月1日閲覧。
^ “ ⇒東京大学「80年代地下文化論」講義 宮沢章夫著 白夜書房刊 2006”. 2010年8月15日閲覧。
^ “ ⇒THE POLICE Column Tokyo 80s Real Story 桑原茂一 インタビュー”. 2010年7月30日閲覧。
^ “ ⇒sby/hrjk 20世紀渋谷・原宿若者文化年表”. 2010年8月28日閲覧。
^ 寺山修司の住処であったマンションの一室(劇団天井桟敷の事務所があった)に、長らく事務所が構えられていた。
^ “ ⇒I-mage2#特別講義 桑原茂一氏”. 2010年7月30日閲覧。
^ “ ⇒久米繊維工業株式会社 At Work + T vol.3 桑原茂一 インタビュー”. 2010年7月30日閲覧。