桂湖村
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帰国後は東洋大学國學院大學で教壇に立ち、その後母校の早稲田大学教授に就任した[1]

1905年(明治38年)、『漢籍解題』を明治書院から刊行した[2]。近年刊は『湖村詩存』(村山吉廣編、明徳出版社、2017年)がある。

森於菟の随筆『父親としての森鴎外』に「父(森鴎外)はまた自分の及ばない方面または知らないことでは相手の長幼をとわず添削を乞うたり質問したものである。詩では古くは野口寧斎等、後には桂五十郎(湖村)…」また、「私(森於菟)は、大正13年秋の晴れた日一日、観潮楼の二階座敷に母(志げ)とともに、晩年ことに父が心やすくした湖村桂五十郎翁を招じて、家にある額、掛物、巻物、置物などの鑑定、値ぶみをして戴いた。」とある。
脚注^ a b c d e f g h 桂湖村 - コトバンク(デジタル大辞泉・デジタル版 日本人名大辞典+Plus・大辞林・日本大百科全書)
^ 漢籍解題 - 日本大百科全書(コトバンク)

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