他に、『新製地毬萬國圖説』(1786年)、『地球全図』(1791年)、『魯西亜志』(1793年)など、外国地理に関する訳書がある。また、江戸時代の代表的な通人である十八大通の一人に名を連ねている。ただ一方で、甫周は才人にありがちな、やや狷介な側面もあったらしい。甫周が幼い頃教えを受けた角田青渓の子で、一時は同居し兄弟のように育った経世家・海保青陵は、甫周の才能にはとても敵わないと高く評価しつつも、才のない人とは話すことが出来ない人、とも評している[6]。
死後、東京都目黒区三田の上行寺の桂川家一門の墓に葬られたが、同寺の移転に伴い、現在は神奈川県伊勢原市上粕屋に墓が存在する。また、東京都にあるときに史跡指定を受けているため、都指定史跡の看板が神奈川県の同寺内に掲げられている。
いくつかの資料は、7代目桂川甫周の次女である今泉みねの子孫の手により早稲田大学に寄贈されており、同大学で公開展も行われたことがある。また、桂川家の館は東京都中央区築地1丁目10番地にあたり、現在同地に碑が立っている[7]。
4代甫周が登場する作品
みなもと太郎「風雲児たち」(リイド社)
佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙」 (双葉社)
脚注[脚注の使い方]^ 『蘭学の家 桂川の人々(続篇)』p.72 篠崎書林
^ 桂川甫筑 かつらがわほちくコトバンク
^ 岡田俊裕著 『日本地理学人物事典[ 近世編 ]』 原書房 2011年 176ページ
^ 『大黒屋光太夫史料集・第3巻』20頁、山下恒夫編・日本評論社
^ 寛政6年(1794年)に刊行。刊本に岩波文庫本がある。
^ 『天王談』(文化3年刊)
^ ⇒「桂川甫周屋敷跡」、中央区観光協会公式webページ、2009年2月27日閲覧
伝記
戸沢行夫 『オランダ流御典医桂川家の世界 江戸芸苑の気運』 築地書館、1994年、ISBN 978-4-8067-6706-0
戸沢行夫 『江戸がのぞいた<西洋>』 教育出版〈江戸東京ライブラリー〉、1999年、ISBN 978-4-3163-5760-7
関連項目
漢方医
東洋医学
多紀元堅 - 丹波康頼の末裔で、多紀氏は世襲の将軍奥医師の筆頭。幕府医学館総裁 「多紀氏の事績」 森潤三郎 著 思文閣出版、昭和6年。
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