かつら ちほ
桂 千穂
本名島内 三秀
別名義宇治 英三
リチャード・ピータース
生年月日 (1929-08-27) 1929年8月27日
没年月日 (2020-08-13) 2020年8月13日(90歳没)
出生地岐阜県
国籍 日本
職業脚本家、小説家、翻訳家、
映画評論家
ジャンル映画、テレビ
活動期間1955年 - 2020年
活動内容1955年 TBS入社
1960年 シナリオ研究所入所
1966年 テレビ脚本家デビュー
1971年 新人シナリオコンクール入選
1972年 映画脚本家デビュー
主な作品
『暴行切り裂きジャック』
『HOUSE ハウス』
『昼下りの女 挑発!!
桂 千穂(かつら ちほ、1929年8月27日[1] - 2020年8月13日)[2]、日本の脚本家、小説家、翻訳家、映画評論家。男性。岐阜県出身[2]。別名義に宇治 英三、リチャード・ピータース。本名は島内 三秀である[3]。 父は高知県出身の陸軍将校[4]。読書家だった母の影響と病弱だったことから、読書に耽る少年時代を送った[4]。1943年(昭和18年)、志願して名古屋陸軍幼年学校に入学し[5]、ここで終戦を迎える[6]。退校直前に幼年学校の映画会で古川緑波主演の喜劇を観て、映画の魅力に取り憑かれた[6]。 1954年(昭和29年)、早稲田大学文学部卒業[2]。1955年(昭和30年)にTBSに入社[7]。編成局連絡課に配属されるが、激務のために高校時代に患った結核が悪化して6ヶ月で退社[7]。以後、闘病生活など5年間のブランクを送る[7]。 1960年(昭和35年)、シナリオ作家協会が主宰するシナリオ研究所(現在のシナリオ講座)に入所[8]。修了後は國弘威雄主宰の同人誌『おりじなる』でシナリオ作家修業をつづけた[9]。講師だった井手俊郎と出会う。また、シナリオ講座で同じクラスだった大伴昌司、と出会い、紀田順一郎を加えた3人で日本最古のミステリ愛好家同好会 ⇒SR(シールド・ルーム)の会 の東京支部を設立し、同人誌「ホラー」を発行した[10][11]。また、1961年、『SFマガジン』の第1回空想科学小説コンテスト(ハヤカワ・SFコンテストの前身)で奨励賞を受賞する。 白坂依志夫に師事し[2]、『盲獣』(1969年)では、白坂の指導を受けてシナリオの一部分を執筆している[12](クレジット記載はなし[13])。またシナリオコンクールへの応募を通して寺山修司にも師事するようになり[2][14]、演劇実験室・天井桟敷の『新宿千一夜物語(新宿アラビアンナイト)』(1969年)では原案を手掛け[15]、『書を捨てよ町へ出よう』(1971年)には俳優として出演した[16]。 1966年(昭和41年)、TBSテレビの『愛妻くん』で、本名の島内 三秀名義で[17] テレビ番組の脚本を書き始め、『黄金バット』も手掛ける[18]。 演劇の脚本などを手掛けるが、なかなか思い通りの脚本を書けない不満を抱くようになる[19]。シナリオ作家として全然芽が出ないことに焦りを感じた桂は、本人いわく「やけっぱちに」なって[19]、シナリオ作家協会が主宰する1971年(昭和46年)の第21回新人シナリオコンクールに『血と薔薇は暗闇のうた』を応募し、入選を果たした[2]。
生涯